皇后問題 デザインしたのは親日家ボナー・フェラーズだった?

本稿、マッカーサーを頂点とするフリーメーソンの日本支部活動に係わる妄想原稿であることを最初におことわりさせていただく。

さて、「皇室関係について精力的に問題提起し続けている、下記3つのブログ」にて、皇后問題を取り上げる機会が最近、際立って増えている。

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BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001

伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」
http://blog.goo.ne.jp/duque21

remmikkiのブログ
http://blog.livedoor.jp/remmikki/

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私は、これらのブログで皇后問題を取り上げる、意味をこう解している。
今までは真相がわからなかったが、ブログ管理人等に情報提供する宮内庁関係者が増え、漸くネット界が、その深刻さに気づき、反応し、反撃を開始しようとしていると。

それでは、まず最初に、皇太子のお妃選びのカラクリについて妄想したい。

皇太子ご成婚のためのお妃選びについては、テレビ番組的には、皇太子の教育係で慶応のテニスプレーヤーだった小泉良三なる人物

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E4%BF%A1%E4%B8%89

が思い出のテニスコートにて一役買ったということになっているが、そのはるか以前にご成婚相手の選定作業が完了していた可能性を、まず指摘する。

ビジネス的側面からアプローチさせていただく。

戦後小麦の輸入量は10倍程度に増加した。昨今は頭打ちだが、輸入先は、アメリカ、カナダ、オーストラリアが大半である。

http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/4067/1/jre-v77n3p113-128.pdf

この小麦の輸入量激増の恩恵を受けた、代表的日本企業が一つある。日清製粉である。

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http://www.nisshin.com/entertainment/encyclopedia/flour_01.html

小麦の輸入
現在、日本で1年間に消費される小麦の量は、約630万トン(2009年度)。世界でも有数の消費国です。日本の小麦消費量のうち、国内産小麦はおよそ15%、残りは外国産小麦でまかなわれています(2008年度)。また、日本の外国産小麦輸入量の割合(2011年)は、アメリ力約58%、カナダ約21%、オーストラリア約20%。ちなみに、日本の国民1人あたりの年間小麦消費量は、約32kg(2009年度)です。

ほとんどの外国産小麦の輸入においては、日本政府が買い入れて、それを国内の製粉会社などに売り渡すしくみがとられています。

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その日清製粉が、企業上場したのは、1949年である。

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http://www.nisshin.com/ir/faq/

1949年(昭和24年)5月に東京証券取引所に上場しました。

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上場資金を得て、設備投資に振り向けたことは容易に想像できる。

すなわち、アメリカ(フリーメーソン)から見れば、小麦輸入を独占的に扱う、ビジネス的にチャンピオン食品メーカーとなった経営者と、取引以外の特別なネットワーク関係(同志的つながり、あるいは血縁)があって不思議ではないのである。

そして、小麦輸入量の大幅拡大が国家の食料政策として決定された時期、正田家がキリスト教に改宗した可能性を指摘する情報がある。

「日本のイエズス会人脈について:正田家についての謎」  
http://sun.ap.teacup.com/souun/2188.html

正田家
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E7%94%B0%E8%8B%B1%E4%B8%89%E9%83%8E

同時期、マッカーサーはフリーメーソンの日本東京ロッジを旧海軍の水交社に設置したことが確認されている。

マッカーサーはフリーメイソンである
http://kabukachan.exblog.jp/19648399/

私が何を言いたいか、読者の皆様はもうおわかりであろう。

フリーメーソン東京ロッジ設置、業界チャンピオン企業の有力者の改宗、とくれば、皇室に嫁ぐ予定のお嬢さん一族に対して、しかるべき階級が設定され、それはロッジ暗黙の了解事項となるのは自然の成り行きとなる。

では、何も知らないであろう、お相手の皇太子には、どう対応いただくか?

ここがポイントとなる。

昭和天皇に、ご改宗いただくか。

昭和天皇は、とりあえず拒否したようである。

私は、かなり斜めに物事を眺めるので、あのマッカーサーなら、こういう筋書きで皇室キリスト教化計画を進めるに違いない、と考えるに至るのである。

鬼塚英昭の「天皇のロザリオ」(上巻 日本キリスト教国化の策謀、下巻 皇室に封印された聖書)は、その辺の日米のせめぎ合いについて、事例紹介を通して巧みな筆致で書かれている。上巻は、共産主義者が書いたような文言が散見され、その点は不満だが、それでも言いたいことは伝わってくる、下巻は歴史研究者的視点で書かれた本として評価しうる。

「天皇のロザリオ」(上巻)によれば昭和天皇は嵌められそうになったが、侍従の機転で危機をかろうじて脱したものの、皇太子の教育とご成婚では、了承せざるを得なかった、、、

昭和天皇は、たぶん深く悩まれたであろう……………

そこで、皇太子について、そういう素養のあるアメリカ人家庭教師を配置すると、昭和天皇に語らせ、とりあえずの決着を見たようである。

では、そう語らせたGHQ関係者は、誰なのか。クリスチャン教育者として知られ河井道との再会を通じて、昭和天皇を東京裁判の訴追から救った、親日的演技が実に旨い、ボナー・フェラーズなのである。(ケント・ギルバートも実に旨い!?)

私は、「河井道とボナー・フェラーズ 陛下をお救いなさいまし」(岡本嗣郎)で描かれている、再開にまつわる感動的な美談話の裏に、こうした手順に弄ばれ、了承せざるを得なかったであろう、昭和天皇の苦悩を垣間見てしまうのである。

私は、本を読み、状況から推定されるシナリオを組み立てているに過ぎない。
本稿着手前には思いつかないことだったのである。
こうやって文章化しつつ、そういうことだったのか?と妄想し、往時の、ご成婚の際の馬車に乗られた若いお二人の映像を振り返っているのである。

参考までに、「河井道とボナー・フェラーズ 陛下をお救いなさいまし」(岡本嗣郎)の当該箇所を転載させていただく。

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268頁

この聞き取り文書の存在が明らかになったのは、天皇死去の二年後の一九九○(平成二)年だった。アメリカに住む寺崎の長女マリコ・テラサキ・ミラーが父の遺品の中から見つけた。
これが「昭和天皇独白録」のタイトルで『文藝春秋』(一九九○年十二月号)に掲載されたとき、占領史研究家の間で、ひとつの論争が起きた。
これは単なる天皇の回顧録であると見る立場と、東京裁判対象だったと見る立場に分かれた。この論争に終止符が打たれたのは、さらに六年後の一九九六年だった。NHKのテレビ番組制作スタッフが、フェラーズの一人娘ナンシー・フェラーズ・ギレスビー(故人)が保管していた父の遺品から「昭和天皇独白録」の英語版を見つけたのだ。
文章は側近が天皇から直接、戦争にかかわる話を聞き取って、それを英訳した総司令部向けのものだった。このことにより天皇独白録は東京裁判で訴追を逃れるための対策文書だったことがはっきりした。
その対策にあたったアメリカ側の中心人物がフェラーズであり、日本側の協力者が寺崎だった。

一九四六年三月五日、イリノイ大学名誉学長ジョージ・ストッダードを団長とする米国教育使節団二十七人が来日した。側近五人による聞き取り調査が進行中の三月二十七日、天皇は皇居・御文庫で使節団と会見した。天王はストッダードに突然、皇太子(今上天皇)の家庭教師を依頼した。

「皇太子に英語を勉強させ、国際性を身につけさせるため、よい家庭教師を推薦してほしい」

269頁

ストッダードは天皇の唐突な申し出に一瞬虚をつかれた。天皇の希望は次のような人物だった。
五十歳くらいの女性でクリスチャンであってほしいが狂信的でない人が望ましい。日本のことを知りつくした、いわゆる日本ずれした人ではなく、むしろ日本は初めての人が好ましい。日本語の能力は必要ない。
ストッダードは、
「適任者の人選は可能だと思うが、年齢の点については少し幅を持たせてほしい」と答えた。
天皇のストッダードへの依頼は、これまで天皇自身の発案とされてきた。エリザベス・バイニング自身も『天皇とわたし』でそう書いている。バイニング夫人の秘書を務めた松村たね子は「えっ?違うんですか」と驚いた声を出した。
「ずっと陛下ご自身のお考えで出たことと思っていました。へえ、違ったんですか」
天皇がストッダードに出した家庭教師の条件は、フェラーズが外務大臣・吉田茂に伝えた人物像と同一である。「立派な円熟したアメリカ人女性」。そもそも天皇の言動は、人生はストッダードに任せたらいいというフェラーズの助言そのままだ。この件は、フェラーズの差し金だったとみて差し支えあるまい。吉田を通じて宮中へ伝えられ、それが天皇の言葉になった。
天皇からストッダードへの依頼が聞き取り調査の進行中に行われたのは単なる偶然ではない。このふたつはいずれもフェラーズの深慮遠謀から出た策で、天皇の免責に必要な措置だったと考えられる。

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ボナー・フェラーズは言うだろう。こうしないと、世界支配層を納得させることはできない、と。
そして、こうすることで、世界支配層に対し、マッカーサーを大統領候補として認知させることができるかもしれないと、考えたかもしれない…………

マッカーサーは満足したに違いあるまい、、、

我々は、GHQの衣を纏ったフリーメーソンにこうして嵌められたのである。かくしてその企てが、皇后問題を育み、かく現実化し、ネット界で喧伝される事態となってしまった、ことを指摘し、本稿を終える。

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