祖父母の役割

最近、ある親戚の若者が結婚した。
私は、この若者と10年近く音信不通である。
さて、この若者の結婚に際し、祖父母世代は、口座番号を教えてもらって、口座振替でお祝いとしたそうである。

道理で、オレオレ詐欺が流行る訳である。


さて、義家弘介衆議院議員は直近のメルマガでお盆の意義をかく論評した。


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■衆議院議員 義家ひろゆきメールマガジン■
2015年8月10日発行号
HP : http://yoshiie-hiroyuki.com
Facebook: https://www.facebook.com/h.yoshiie
Twitter :https://twitter.com/yoshiiehiroyuki


毎年、お盆の季節が訪れるたびに、必ず少年時代のことを思い出します。
私の生家は米、野菜、桃、リンゴを作る農家でした。
今は地元を回っていてもほとんど見かけることはありませんが、当時は休日になると、どこの畑にも農作業に励む大人たちの傍らには子ども達の姿がありました。
田植えや、消毒、桃やリンゴの「剪定」、まだ小さい果実への「袋かけ」、それぞれの収穫は、まさに家族総出で行いました。
特に思い出すのは、まだ小さい桃の果実への「袋かけ」です。
日焼けをさせずに大きく育て、程よい色で出荷するために必要な作業なのですが、口に針金が付いた新聞を加工した袋で根気よく果実を包んでいく作業は大変でした。
皮膚の弱かった私は、首の辺りがいつもかぶれました。
手伝いを渋る子ども達に対して、祖父は一つの提案をしました。
「桃に袋を一つかけると、1円」。
一束100枚をすべてかけると100円。
御小遣いなどなかった私たち兄弟にとってそれはとても魅力的な提案でした。
背伸びをしながら、手が届く場所にある果実一つひとつに必死に袋をかけていったものです。
もっとも「いい子」でなかった私は、何度も家族の目を盗んでは畑に袋の束を埋めて誤魔化したりもしていましたが。
そんなこんなで、お盆までは休みも旅行も、何もなし。
しかし一転、お盆に入ると一切の農作業は休みになり、自宅にご先祖様をお迎えし、家族で御馳走がたくさん並んだ食卓を囲み、その折、新年の「お年玉」に続く「お盆玉」が子ども達に配られました。
額は数千円。でもその「お盆玉」には流した汗と、食への畏敬がぎっしりと詰まっていました。
すでに他界した祖父母、父、そしてご先祖様、今年もお盆の季節がやってきました。
少年の日、皆様がお天道様の下で導いて下さった尊き営み、ひろゆきは、今も胸に宿して生きています。

義家 弘介


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義家議員は、若い頃ぐれた時代があり、父母との間で確執があったようだが(詳細不明)、祖父母とは異なる性格の絆で結ばれていたことがわかる文章となっている。

参考までに、もう一つお読みいただきたいサイトがある。


ゾンビについて
http://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12058442666.html


このサイト、安倍政権批判については、表現手法的に論理的でないため、本当は紹介したくないのであるが、この原稿なら、参考になる点があると思い、紹介させていただく。

この原稿は、
国家を国家と思わず
先祖を先祖と思わず
伝統を大切なものだと認識せず
歴史と民族との係わりを理解しない、ヒトモドキが増えていると、指摘している。

私に言わせれば、テレビ番組の関係者、出演者ほぼ全員がそうでないかとみなしている。それぐらい、テレビ局関係者の劣化を意識するのである。

国家があって自分がいる、先祖があって自分がいる、民族があって自分がいる
という指摘はもっともである。かつての麻薬、ビートルズ音楽がそういう現象を加速させたと指摘している。

実は、私は、ビートルズは好きではない。合わないのだ。違和感があるのだ。


お盆の時期が近づいている。
祖父母の立場では孫にお小遣いを上げるのが習慣かもしれない。
しかし、孫に何も託さず、心が通わない祖父母となってしまったら、孫は祖父母をどう見るだろう。

大切な人生の行事を、親族の祝福を受ける大人の仲間入りをする通過儀礼と受け止めず、
紙幣ではなく、口座振り込みを依頼するような、孫に変身しないためにも
祖父母の役割を認識し、それとなく孫にメッセージを託す必要性を指摘し、本稿を終える。

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