GHQは東京裁判、日本国憲法によって日本国に「呪い」をかけたのではないか?

GHQ日本占領による数々の「民主化」施策を評価している学者がいることを知っているが、GHQによる占領初期の露骨なイベント日付設定から判断すると、日本は二度と立ちあがれないように、「呪い」をかけられたととれる。

以下、かけられたとみられる、「呪い」?なるものの手口と思われるものを列挙する。

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●第一次戦犯指定・逮捕命令日:1945年9月11日
https://ja.wikipedia.org/wiki/A%E7%B4%9A%E6%88%A6%E7%8A%AF
私は、日本における暦の中で、9月11日、3月11日は特別な意味があるのではないかと思う。
アメリカの9・11事案と関連づけて、日本の3・11事案が仕掛けられたとの言説があるが、当時の民主党政権の裏切り?に対する報復措置?菅首相が東電を恫喝したのは、その代理人としての行為かもしれない。

●A級戦犯の被告人名簿公表日:1946年4月29日(昭和天皇誕生日は4月29日)
A級戦犯に昭和天皇が入っていないが、本らは実質的に戦犯であると暗示?
昭和天皇に対し、呪いの始まりを通告?

●東京裁判の初公判日:1946年5月3日(後に制定・施行された憲法記念日は5月3日)
明治天皇の誕生日が11月3日であることを知れば、半年違いの日程を選ぶ意図は、たぶん、あるだろう。私は、暦の裏の読み方までは知らないが。

●日本国憲法施行日:1947年(昭和22年)5月3日に施行(東京裁判の初公判日)
日本国憲法施行日は、東京裁判の初公判日と同様、日本を滅亡させるための憲法として機能させる最初の日の位置づけ?

●東京裁判判決の言い渡し:1948年11月4日~12日
本当は11月3日開始予定だったのが?1日ずれ込む?

●A級戦犯の処刑日:1948年(昭和23年)12月23日(今上天皇誕生日)
皇室滅亡、皇太子も処刑すべきとの意思表示?
今上天皇が、歴代天皇の中でとりわけ宮中祭祀に熱心、かつ東京裁判史観のスタンスで発言せざるを得ないのは、「呪い」の存在を知っているからなのであろう。ひょっとすると、「呪い」とただ一人闘っておられるのかもしれない。

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この種の記述は、渡部昇一や小堀桂一郎の本で読んで気が付いているが、後述する「河合道とボナー・フェラーズ  陛下をお救いなさいまし」(岡本嗣郎)の日付の記述や、昨今の事件等から再整理を試みたものである。

これらは、とりあえず調べた中で、「呪い」くさいと思われる一例である。
こんな「呪い」めいたことまでされて、GHQの統治を民主化などと絶賛される歴史学者がいることに私は驚いている。

では、かように日本の行事に詳しいGHQ関係者は誰なのかと言うと、

アメリカ在住の日本研究者
日本在住のキリスト教関係者がいる、GHQスタッフ
日本滞在経験がある、GHQスタッフ

ではないかとみている。
特に、戦時中日本に滞在した外国人が親族にいた者が、戦時中に受けた待遇への復讐の目的で、シナリオを書き主導した可能性を疑っている。

実は、該当する者が3人いる。

ボナー・フェラーズ(日本研究者、マッカーサーの副官)
ハーバート・ノーマン(在日カナダ人宣教師の子供、日本で生まれる、日本史の歴史学者、カナダの外交官)
ベアテ・シロタ・ゴードン(幼少の頃から日本滞在経験有り、ユダヤ人)


ボナー・フェラーズは情報将校として、数々の著書を既に残していることが確認されている。

・ジャパニーズ・バックグラウンド
・日本兵の心理
・ピース・フロム・ザ・パレス
・日本への回答
・SETSU KOIZUMI
・日本の解放

ハーバート・ノーマンについては、その正体が確定したようである。

「ノーマンは共産主義者」英断定 GHQ幹部 MI5、35年の留学時
http://www.sankei.com/world/news/140727/wor1407270013-n1.html

そして、帰化したドナルド・キーンに対し、帰化したのであるから正直に説明いただきたいことがある。
同時期GHQスタッフとしてどこに所属し何をしていたのか?検閲に係わっていたのではないのか?
現時点で、これらの「呪い」めいた日付設定について、どう思っているのか、尋ねたい。

私は、親日家と評される者には、知られては困る「影の素顔」があるとみているのである。(あの、ケント・ギルバートも例外ではない)

さて、「河合道とボナー・フェラーズ  陛下をお救いなさいまし」(岡本嗣郎)の本の存在などから、ボナー・フェラーズを昭和天皇を東京裁判の訴追から救った救世主であるかのように錯覚され、ボナー・フェラーズを親日家として、かつ、ボナー・フェラーズのとった一連の行動を美談として評価されている方が、続出しているようである。

拙ブログは、いわゆるビジネス保守は、この手の話を美談に仕立て上げ、それによって保守層に拡散する習性があるということを指摘した。

感動ものの歴史秘話は情報戦争を戦う際の障害にしかならない?
http://nihonnococoro.at.webry.info/201512/article_5.html

面白いことに、「河合道とボナー・フェラーズ  陛下をお救いなさいまし」の著者岡本嗣郎はちゃんと、ボナー・フェラーズの正体を見抜いてかく言及している。

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「河合道とボナー・フェラーズ  陛下をお救いなさいまし」(岡本嗣郎)

184頁
河井はマッカーサー司令部が天皇問題を処理する際の重要なキーパーソンだったのである。フェラーズはマッカーサーと来日した占領初日に、横浜のホテルニューグランドで河井の消息を求めた。そしてその無事を確認すると即座に手紙をことづけた。河井の返事は当初はかばかしくなかった。それでもフェラーズは手紙を送り続け、繰り返し面会の希望を伝えた。

264~265頁
通訳の溝田主一を伴って総司令部のある第一生命相互ビルに出向いた米内に、フェラーズは語った。
「私は天皇崇拝者ではない。十五年、二十年先に日本に天皇制があろうがなかろうが、また天皇個人がどうなっていようが、関心はない。
しかし連合軍の占領について天皇が最善の協力者であることは認めている。いまの占領が継続する間は、天皇制も存続すべきであると思う。
(竹田万亀子「新出史料からみた『昭和天皇独白録』

266頁
フェラーズの天皇免責工作は、政治の表と裏の両舞台で水ももらさぬ周到さで展開された。その強引さ、露骨さ、生々しさ、そして隠密ぶりはフェラーズの知られざる一面をのぞかせている。彼は温和な文人肌の理知的人間であったと同時に、怜悧で非情で有能な現実的政治家でもあった。


275頁

天皇制の存続は戦争放棄条項と引き替えだった。不戦・平和主義の宣言が象徴天皇制を可能にした。日本政府がこれを受け入れ、憲法改正草案要綱として正式に発表したのは三月六日だった。
フェラーズが元首相・米内光政を総司令部に呼び、ひそかに「東条に戦争の全責任を負わせよ」と指示した日である。
一九四六年七月二十三日、フェラーズは日本を去った。再就職先は、アメリカ海外退役軍人協会だった。翌年十一月、共和党全国委員会副委員長に転身している。

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ネットで拡散される、いわゆる美談話は、上記の記述を見て見なかったことにして書かれた結果なのだろう。
美談話だらけの歴史本・ブログを読む意義はあるのだろうか?
歴史を知ることは、最終的には知りたくないことを知ることを意味するのである。

ボナー・フェラーズは、米内との密談の経緯から、実は善人ではなかった可能性大なのである!?

それでもボナー・フェラーズのことを大の親日家だと疑わない方、ボナー・フェラーズの離日後の経歴、再来日していない?理由を調べるべきだろう。

彼は、滞在中も離日後も、マッカーサーの大統領選挙資金調達窓口として、裏でちゃっかり活躍していたかもしれないのだ。

マッカーサーは大統領選挙資金を日本で調達したのではないか?
http://nihonshitanbou.blog.fc2.com/blog-entry-6.html

離日後の彼は、自分のシナリオ通り、万事進んでいることを知っていたこと、怜悧で非情で有能過ぎるが故に、日本で大の親日家と評価されているのとは別のドス黒い?その素顔を知られず(東條英機、弘田広毅のご遺族からすれば無実の罪を着せた仇討対象?)生涯を終えたかったのであろう。

ボナー・フェラーズは、確認されている情報によれば、単に東京裁判のシナリオを整理したに過ぎないのではあるが、(もし再来日したとする文献がない?のであれば)、滞在中に示された数々の親日ポーズは、日本人を騙すための演技ではないかということを指摘し、本稿を終える。

この記事へのコメント

中原明 (69歳)
2015年12月12日 18:44
以下、思いつきのコメントで失礼します。
貴記事を毎回拝読中、感謝に堪えません。利用図書館に以下の図書あり、近々、閲読してみます。その中に、加藤哲郎氏の論文が所収されている。
「講座小泉八雲 1 ハーンの人と周辺」新曜社 2009.8
上記図書に、ボナー・フェラーズについての、加藤 哲郎/著の論文あり。
ハーン・マニアの情報将校ボナー・フェラーズ
http://members.jcom.home.ne.jp/tekato/Fellers.html
管理人
2015年12月13日 18:16
情報ありがとうございました。
大杉
2015年12月14日 00:35
自分は、戦前の日本は民主主義であったかという問いに対しては、「そうです」と答えます。

少なくとも、すべての国会議員は、国民による選挙によって選ばれていました。所謂独裁ではありません。

大日本帝国憲法下であっても、天皇陛下に主権は存在しませんでした(ただし、議会への進言はできましたが)。つまり、天皇陛下は政治的決定権を有していたわけではありません。

したがって、所謂「天皇の戦争責任」というものは存在しません。

太平洋戦争の開戦決定も、議会で決定した事項を、天皇陛下が法に則って承認されただけですから、議会決定を天皇陛下が覆す事は憲法上許されていなかっただろうと考えております。

二・二六事件以後、軍部の発言力が高まった事は事実ですが、それでも議会を無視して開戦決定は出来なかったと思います。

治安維持法、特高警察なども、元は、暴力革命を実行しようとしていた共産主義者達に適用されるものでありましたから、この法律、制度自体が非民主的であったとまでは思いません(ただ、誤認逮捕や、きちんとした捜査が行われなかった為、暴力革命までは考えていなかったものまで逮捕してしまった可能性はありますが)。

以上から、戦前は非民主国家であったなどという、東京裁判史観などは誤りであると考えております。

軍の統制権の所属問題や、共産主義者の中枢部への侵入などを防ぎ切れ無かった事は、失態であったと考えますが、非民主的というのは些か的外れであるというのは事実であります。
管理人
2015年12月14日 08:20
概ね大杉さんの主張に賛同します。
ただ、大日本帝国憲法の制定過程、そして条文について学び直す必要を痛感しております。
帝国憲法は国家のかたちを体現する手段であったと考えるからです。
その日暮らし
2015年12月14日 21:54
GHQというか、共産GHQですよね。故に共産主義者の呪いと言いますか・・・。

逆コースで路線変更したんですが、その頃にはすっかり共産党など極左がすっかり根を張ってしまい、しかもサンフランシスコ講和条約の際に、米国からも打診があったと言われてますが、自主憲法制定と再軍備をやらなかった。
この判断ミスは致命的だったと時の総理の吉田茂も回顧してたとか。
管理人
2015年12月15日 05:45
<自主憲法制定と再軍備をやらなかった。
この判断ミスは致命的だったと時の総理の吉田茂も回顧してたとか。

経緯的にはそうなのですが、吉田茂の戦前、戦中、戦後の言動について、再点検する必要を感じております。

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