過去の拉致事案と「北朝鮮による日本人拉致」は繋がっている? 

本稿は

今なぜ拉致問題なのか 被害者救出の「切り札」は温存されている?
http://nihonnococoro.at.webry.info/201511/article_10.html

の続編である。

本稿は、北朝鮮の政府高官の視点で読まれんことを推奨する。
その視点で読まれれば、北朝鮮による日本人拉致の目的が仮にわからなくても、実行を決断できた背景事情がわかると思うからだ。

また、本稿は、推論である。シナリオ的に辻褄が合いそうと判断したので出稿したことを、最初におことわりしておきたい。


まず、北朝鮮による日本人拉致事件決行に至った背景について検証を試みる。

「北朝鮮による拉致事件」が起きる以前、歴史的に、拉致事件は2件あったようだ。

■1件目に起きた日本人拉致事件

1件目の事案。満州事変直前に発生している。倉山満の「嘘だらけの日露近現代史」にかく記述がある。

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嘘だらけの日露近現代史

189頁

無軌道な(張)学良は次の矛先を日本に向けます。当時の日本は十五年も続いたデフレ不況に苦しみ、大学生が就職難で、地方では餓死者まで出て、外交では英米に媚びへつらい、という鬱屈した空気があふれていました。そんなときに満州で日本人の拉致が相次ぎました。しかも日本の外務省は「拉致問題で抗議などしたら、相手が困るではないか」と国民感情を逆なでするような態度をとります。一体いつの時代の話かと言いたくなりますが、一九三一年(昭和六年)の日本はこんな状況でした。
平成二本と昭和初期が決定的に違うのは、日本が無敵の軍隊を持っていたことです。関東軍参謀の石原完爾は閉塞した状況を一気に打破しようと満州事変を断行し、張学良を駆逐します。

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この史実を知るなら、戦後、北朝鮮の当局者が日本人拉致を企画した場合、一事が万事弱腰で世界的に有名な?日本の外務省は、戦前と同様、「拉致問題で抗議などしたら、相手が困るではないか」と勝手に先読みするのではないかと予想するのである。

■二つ目に起きた金大中拉致事件(1973年)

Wikipediaに恐るべき記述があるので、一応参照しておきたい。

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金大中事件

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%A4%A7%E4%B8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

警視庁によると「少なくとも四つのグループ、総勢20人から26人が事件に関与した」という。「ファーイースタン・エコノミック・レビュー」の記事によると「朴正煕と関係の深かった町井久之(鄭建永(チョン・ゴンヨン)山口組系東声会会長)がホテルのフロア-をほとんどすべて借り切りKCIAに協力した」と書かれている。「ニューズウィーク」東京支局長バーナード・クライシャーは本社に「町井久之はKCIAと緊密に行動を共にし事件の背後にいた。しかし日本のどの新聞もこのことを取り上げない。それは町井の組が自分達を誹謗する者を拷問し殺すことさえ厭わないからだ。」との記事を送っている。韓国政府が金大中を中傷する情報を日本の新聞社に流す役割をしていた柳川次郎(梁元錫(ヤン・ウォンソク)山口組系柳川組組長)も関与。日韓関連の著書が多いジャーナリスト五島隆夫によると「柳川は日本の暗黒街の他の人物と同様に児玉誉士夫(自民党の後援者・右翼の黒幕)を通じて韓国政府と接触をとった」という。また、退官陸自3佐で興信所を営んでいた坪山晃三にも、拉致設定の依頼が金東雲からあったが、坪山は拒否し、当時の後藤田正晴官房副長官から、しばらく身を隠していろと忠告され伊豆地方に潜伏していた。

同事件について、日本政府は主権侵害に対する韓国政府の謝罪と、日本捜査当局による調査を要求していたが、同年11月の金鍾泌(キム・ジョンピル)首相(当時)の訪日と1975年7月の宮沢喜一外相(同)の訪韓で政治決着を図り、韓国側の捜査打ち切りを確認したが、韓国政府はKCIA職員かどうかも認めず不起訴処分とし、国家機関関与を全面否定していた。

後年、大統領になった金大中はこの事件を一切不問にするとの立場を明らかにし、韓国政府に対する賠償請求などに発展するおそれのある真相究明を露骨に牽制した。また、1973年11月2日に行われた田中角栄首相(当時)と金鍾泌首相(当時)との会談の内容を収めた機密文書が盧武鉉政権により公開(2006年2月5日)され、日韓両政府が両国関係に配慮した政治決着で穏便に事を済ませようとしていたことが明らかになった。『文藝春秋』2001年2月号の記事によると「田中角栄首相が、政治決着で解決を探る朴大統領側から少なくとも現金4億円を受け取っていた」と現金授受の場に同席した木村博保元新潟県議が証言している。また田中真紀子によると事前に角栄は殺人をしないことを条件に拉致することを了承済であったという。

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金大中事件について、日本政府のとった、2つの、問題ある対応に私は着目している。

・日本政府として、事件としての処理を不問としたこと
・日本の首相が韓国政府から金を受け取ったこと(児玉誉士夫が実質仲介、児玉誉士夫は拉致の協力者?)

ここで、北朝鮮政府当局者の視点で眺めてみたい。

日本の政府は、有力な政治家に金品を渡せば、拉致を不問とすることを、北朝鮮政府は知ってしまったのである!

また、ハイジャック事件も相次いだ。当時の日本政府が取った対応はとにかく弱腰だった。


■「よど号ハイジャック事件」(1970年)

「よど号ハイジャック事件」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%88%E3%81%A9%E5%8F%B7%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BA%8B%E4%BB%B6

ハイジャック犯は北朝鮮に亡命した。北朝鮮は、この時点で、日本政府は、ハイジャック犯そして、北朝鮮に対し、決して強硬措置に出ないことを知ってしまった。

■日本赤軍による「ダッカ日航機ハイジャック事件」(1977年)

ダッカ日航機ハイジャック事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%AB%E6%97%A5%E8%88%AA%E6%A9%9F%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BA%8B%E4%BB%B6

この事案で、北朝鮮は、「日本政府は、誘拐事案について、金で解決しようとした。決して、人質解放のために特殊部隊等による突入作戦をしないこと」を知ってしまった。

身代金支払いを進言したのは、あの小和田某だとする情報がある。

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https://twitter.com/sdu2pck2/status/608424582018674688

①ダッカ事件

1977年、日本赤軍により
ハイジャックされたJAL機
がダッカに強制着陸。
犯人は身代金の要求と、獄
中の仲間の釈放を要求。
首相の福田赳夫が、身代金
を支払い、赤軍を釈放、世
界中の非難を浴びた。

進言したのは、秘書の小和
田恒氏。

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また、竹島問題の処理についても、北朝鮮は参考としたに違いない。

私は、竹島問題での韓国人の日本人漁師の大量拿捕、1976年のロッキード事件に見る。竹島問題については、日本政府は、国際司法裁判所にさえ提訴しない(昭和29年)形で、韓国政府が対応拒否する形でとりあえず推移している。

【竹島】はこうして奪われた「日本の漁民を片っ端から収容所に」1960年頃(拿捕された船員)+竹島研究
http://matome.naver.jp/odai/2134606090088701501

竹島問題について
http://www.kantei.go.jp/jp/headline/takeshima.html

この問題の処理で言えることは、日本政府は決して強硬な外交措置を取らないだろうと、北朝鮮が知ってしまった可能性はある。


状況をまとめたい。

(外交措置)
・戦前に起きた「日本人拉致」への外務省対応が事なかれ主義的だったこと
・漁民が何人拿捕されようが殺されようが、決して外交的に強硬措置を取らなかったこと

(政治家の対応)
・政治家を買収すれば拉致事件を不問とできること

(治安部隊の対応)
・ハイジャック事件等において、日本政府は金で解決しようとし、人質解放のための特殊部隊等による突入作戦をしないこと(拉致被害者救出のための自衛隊出動はないこと)


北朝鮮は、過去に起きた事案から、「日本人を大量拉致」しても

日本政府は、外交的報復措置を取らず、北朝鮮協力議員を通じた買収工作によって、政権与党の政治家を通じて拉致事案を不問とすることが可能で、治安部隊すなわち自衛隊による拉致被害者奪還は当面起こり得ない

ことを知ってしまったのである。

知ってしまったから、決行できたのである。(不謹慎な書きぶりに申し訳ない)


では、ここで拉致事案の全貌を参照したい。

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北朝鮮による日本人拉致事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E6%8B%89%E8%87%B4%E5%95%8F%E9%A1%8C

拉致作戦

現在、当局によって把握されている被害状況からすると[4][8]、日本人拉致が北朝鮮の国家機関によって企図されたのは、1970年代後半になってからではないかと推測される[要出典]。

それまで主として、韓国国内で活動してきた北朝鮮のスパイ(工作員)らが、この時期以降、韓国当局の手によって数多く摘発されるなど、韓国当局による北朝鮮工作員への警戒が非常に厳しくなったことで、在日韓国・朝鮮人らを抱き込んで、韓国に入国させる形での対韓国工作活動の遂行が困難になってきた。そのため、北朝鮮当局は日本人に成り済まして、工作員を韓国に入国させる手口が有効であると考え、韓国のみならず、世界各国の出入国に便利な日本人のパスポート(旅券)を奪取するため、また同時に、工作員を日本人にしたてるための教育係としての利用、あるいは日本国内での工作活動の利便性を向上させる目的で、複数の日本人を拉致したとの指摘がある[

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タイミング的には、金大中事件が起きて数年後。直前のダッカ事件での日本政府の対応を確認しての決行となる(不謹慎な書きぶりで申し訳ないが)辻褄は合う。

そして、国内の協力者(社会党系議員?)の存在により、拉致事案が長らく、表面化することはなかった。仮に、拉致被害者からの密告等があったにせよ、もみ消し続けることに成功したようである。

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土井たか子氏 墓場まで持ち込んだ?北朝鮮の秘密
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/317465/

マスコミが報道しない土井たか子の残念な功績
http://matome.naver.jp/odai/2141194784393342701

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なぜなら、北朝鮮のスパイ議員が存在し、そのパイプを使い、与党政治家を買収できたからである。買収のターゲットは金丸信だったと考えれば辻褄が合うだろう。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E4%B8%B8%E4%BF%A1

1990年、日本社会党のつてを頼り田辺誠らと訪朝団を編成。団長として北朝鮮を訪問する(金丸訪朝団)。

金丸と金日成が、日本語を用いて差しで対談を行う。しかしやり取りが文書として残っていないため、一体何を話したのかが謎となっている。この空白の数時間の間に取り決められたといわれる約束が、日朝の交渉においてしばしば「金丸さんが金日成主席と約束した」という形で北朝鮮側から持ち出されることがある。

このとき自民党の代表として国交正常化や統治時代の補償とともに『南北朝鮮分断後45年間についての補償』という約束を自民党、社会党、朝鮮労働党の3党で交した。この約束は帰国後「土下座外交」と批判を浴びた。このとき1983年に北朝鮮兵士閔洪九の亡命事件に関連して北朝鮮にスパイとして拿捕され7年間服役していた「第十八富士山丸」の日本人紅粉勇船長と栗浦好雄機関長の2名の釈放・帰国についても合意し、こちらは実行された。

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私は、金丸信は、拉致事案を知っていて、知らないふりをしていたのではないかとみている。

私個人も、金丸信という政治家が特定の業界に目を付け、あのプロジェクト早くやれとか、経営者に迫っていた情報を掴んでいる。

要するに、当時の自民党中枢、社会党もそういう政治屋揃いだったのだ!

この記事へのコメント

その日暮らし
2015年11月16日 16:39
こんにちわ。
日本の著名な政治家のかなりの割合が特定の国などの影響を強く受けた人物だと思いますよ。
共産党は言うに及ばず、社会党など日本の政党だったかすら怪しいですし、勿論自民党も政治屋の巣窟。
自民党も風向き明らかに変わり出す森首相辺りまでは、大なり小なりみな鼻薬を何処かから効かされてて、誰がマシかというレベルだったと思います。
自民党は二度の下野でそれでもまだ随分マシになりましたが、野党など殆ど禊ぎを必要とされず自浄能力は皆無で国民の審判のみという有様。メディアも報じない。
まさに、日本国民を守らない日本国憲法の忠実な護り手達と言うべきか…。

しかし、森さんがITの事をイットイットと言ってたのが懐かしいですが、あの大英断で一気にインターネット時代を迎えてから、随分と真実が知れ渡ってきたと思います。

拉致は実はまだ現在進行形で続いており、かつてより寄り巧妙に、日本に居る協力者の層も厚く、警察など役人にまで浸透しており、背乗りなどが日常的に行われているという、背筋の寒くなる話しも聞きます。
現実に、日本人は左翼の活動で個人主義が進むにつれ、地縁血縁が薄れ、孤立化が進み、地元の役所の告知板をみれば毎週の様に張り出される夥しい程の孤独死、行方知れず者の告知。
勿論、メディアで報道されることも無いです。
こんな有様では、いつ誰が成り代わってても誰もわからないでしょう…。
管理人
2015年11月16日 20:17
<拉致は実はまだ現在進行形で続いており、かつてより寄り巧妙に、日本に居る協力者の層も厚く、警察など役人にまで浸透しており、背乗りなどが日常的に行われているという、背筋の寒くなる話しも聞きます。

そういう実態があるのですね。
親戚でも連絡が途絶えつつある人がいるくらいですから、彼らにとってはやりやすい環境なのでしょう。
都会などでは、監視カメラ設置くらいしか、対抗策がないのかもしれません。

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