ジャーナリストやノンフィクション作家が乗り越えられない壁
防衛省が募集した軍事技術研究に16の大学が応募したそうである。
無人機やサイバー攻撃対策など軍事技術研究に16大学が応募…防衛省!
http://blog.livedoor.jp/corez18c24-mili777/archives/45493565.html
私は、戦時中に、軍事技術研究に係ったと思われる、大学教官、高校教師に遭遇した事を思い出した。彼らは、こういう趣旨の兵器の開発を担当したとか、こういう実験を繰り返したと、講義中あるいは授業中に語っていた。
その中に、薬品のせいで顔の皮膚が変色された方、片腕がない方もいた。
時代は変わり、日本の大学もやっとGHQなどに押しつけられた、敗戦国の呪縛から抜け出しつつあるようだ。
各大学が時代の趨勢を察知したためか、どこかの大学が作成したものを流用したのかはっきりしないものの、「17大学が軍事利用可能な研究への対応について明確なルールを持っていた。」という報道に、私は着目している。
このルール、あるとないのとでは大違いな気がする。
技術者と倫理のテーマは、技術者として、避けては通れない、重たいテーマであるからだ。
いささか堅い話題となってしまった。
このルール、私は、当事者としての技術者だけでなく、その実態を調べたいとする、調査者(ジャーナリスト、ノンフィクション作家)も認識し、その調査作業に反映させるべきだという考えを持っている。
自衛官が自衛隊法を厳格に遵守させられることを求められる一方で
それを報道する、内閣記者倶楽部記者や論説主幹たちが、国家転覆に繋がりかねないような偏向・捏造そして、私的戯言が放置されてはいいと考えないからである。
ジャーナリスト、ノンフィクション作家たちは言うだろう。
自分たちは、真実を知るために取材し、その調査結果を報道する使命があると語るだろう。
しかし、ここ数年の実態はどうか。意図的な不報道(中国、韓国、在日、民主党に都合が悪い情報)、過剰報道(左翼のデモ、金大中の葬儀)、偏向・捏造が続出している。
そこで、本稿では、ジャーナリストやノンフィクション作家などの、調査者に課されるべき(暗黙の)ルールなるものについて、ノンフィクションものの著者がどう意識し扱ったか、二つの事例について比較を行う。
比較検証する本は、二冊ある。
一冊目は陸軍登戸研究所に係わる調査もののノンフィクション本、「陸軍登戸研究所と謀略戦 科学者たちの戦争」(渡部賢二、吉川弘文館)である。良好事例としてカウントすべき本という印象を持っている。
この本は、過去の調査研究、オフィシャル資料などをベースに登戸研究所の組織全体を押さえつつ、経緯、機能、成果を手際良くまとめている。
著者は、13~14頁の「本書の目的」にて、
「本書がめざすものは、けっして登戸研究所の関係者を糾弾し、その責任を追及することではない。国家が科学を戦争に動員するときに、どんな科学者・技術者が生みだされ、どんな兵器が作られるのかを検討すること、そして戦争ではなく平和で安心して生きられる社会に貢献する科学者・技術者を育てるには過去から何を学ぶべきか考えようとするところにある。」としている。
著者が、執筆目的を明らかにした点に注目したい。
そして、貴重な情報が得られた経緯について、かく紹介している。
―――――――――――――――――
204頁
同時に、最も私を支えてくれたのは、かつてこの登戸研究所に勤務していた人たちであった。当初はなかなか口を開いてはくれなかったが、次第に人間関係が生まれる中で、ついには話しだけでなく貴重な資料まで提供していただけるような関係にまでなれた。研究所に勤務していた人たちの親睦団体「登研会」にも二〇年くらい前から参加させてもらうようになり、通常だと聞くことの難しい話しを聞くことができた。登研会も、会員だった伴繁雄さんを中心に、それまで「墓場まで持って行く」と口をつぐんでいた内容を自分たちでまとめ上げ、明治大学に対して資料館設置の要請を出すまでに変化した。本来ならば埋もれてしまう事実を語り、資料まで提供してくださった登研会の皆さんのご苦労とお力添えなしには、資料館も本書も有り得なかった。深甚の感謝の意を表したい。
―――――――――――――――――
著者は、取材先に対する配慮と感謝を忘れていないようである。
著者は、元高校教師、政治思想的にはリベラルの可能性はある。この本の欠点を強いて挙げるとすれば、内容が概括的なものに留まり、個別事項については、追跡取材が必要な部分が存在することではあるが、著者は、調査対象全体の骨格をほぼ網羅しているところから、やろうと思えば、個別各論の追跡調査・取材は容易ではないかと思われることである。
すなわち、各論に入る前の下地準備について、著者はほぼ終えているのである。
ただし、この本はそう売れている訳ではない。それなりの良書なのに。
次に、似たようなテーマの調査ものの本を紹介したい。
「陸軍中野学校の真実 諜報員たちの戦後」(斎藤充功、角川文庫)である。
著者は、登戸研究所の本も書いているが、本腰をすえて取り組んだのは、中野学校の方なので、こちらで比較させていただく。
実は、この本については良好事例かどうか判断がつきかねている。文庫本化されているため、確かに売れたようである。
執筆動機については、文庫本あとがきにて、『「関係者の口から陸軍中野学校を調べてみると面白いですよ」と、聞かされたことが取材のステップになっていた」とある。
取材の難しさについては、同じく文庫本あとがきにて、こう書いてある。
―――――――――――――――――
卒業生は噂に聞いていた通り、口が堅かった。取材でお会いした関係者は五十人を超えたが、「中野学校の真相」について語ってくれた卒業生は、ほんの一握りであった。しかし、そのことが却って刺激になり、また、取材の意欲を掻き立てた。関係者が神経質になったのは「戦後の卒業生の生き方」で、夫々の人生に封印をして戦後を生きてきた人が多かった。
―――――――――――――――――
文章内容的には、冒頭はそうではないが、取材に偏重し、著者が遭遇した事実(著者と取材先の会話)について、テープレコーダーに語ったことをテキスト化したような文章が、後半に移るにつれ、続出する印象がある。
ちなみに、取材相手には、著者はこう言われている。
―――――――――――――――――
「なにを聞きたいのですか。お役に立つとは思いませんが」(75頁)
「とにかく会うだけでもあってもらいたい」(75頁)
「あなたにお話しすることはなにもありません。憶測で記事を書けば法的手段を取ります」(138頁)
「意を決して土間に入り、身分を名乗った。訪問の目的を告げた。(147頁)
「清沢宅へは連絡なしの突然の訪問であった。私は内心、清沢が会ってくれるかどうか気を揉んでいた。(153頁)
「もう訪ねてこないでほしい。体調も優れないし、あなたには会いたくない」(157頁)
「もう、これで終わりにしましょう。前回話した以上のことはなにもありません。」(158頁)
―――――――――――――――――
著者は、関係者であることがわかれば、とにかく会い、話を聞きだすことに精力を集中していたことがわかる。出版社から旅費を貰っていた?関係で、こういう経緯まで書かざるを得ない可能性もある。
そして気になるのは、文脈などから、事前に、調査目的、調査事項を特定して訳ではなさそうであることだ。
取材先にとって、(悪意にとれば)著者は、取材先の過去の悪事を暴き、その情報で以て、一儲けしようとしている人間に見えたのだろう。
著者は、真実を知るために、と抗弁するだろう。それならば、なおさら、客観性を担保することにつながる準備、取材先への保証、取材依頼に係わる手紙等の依頼状は必要だったはずだ。
取材先は、確かに高年齢である。残された時間はない。著者が、功を焦り、強引過ぎた面もある。そして、肩書ある高齢者ほど、プライド至上主義なのはビジネス上の常識である。
もっとも、口が堅い中野学校出身者が、組織あるいは個人の不名誉な事を進んで言うはずがないと考えたら、著者は慎重な対応上の配慮が求められたはずだ。
著者の近刊のタイトルを眺めてみたい。著者は未解明で売れそうなテーマを好むことがわかる。
・小野田寛郎は29年間、ルバング島で何をしていたのか
・「フルベッキ写真」の暗号 (mu NONFIX)
・消された「西郷写真」の謎: 写真がとらえた禁断の歴史
・明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌
著者は売れっ子のようである。
著者は、面白そうなネタだから、真実を知りたいという動機で書いた、と言うだろう。
「陸軍中野学校の真実 諜報員たちの戦後」を読む限り、調査者として本筋のやり方だったのか、私は疑問に思っている。
ここで、ビジネス書であるが、調査もののノウハウが書かれた本を紹介させていただく。
日経文庫の中に、「調査の進め方」、「調査・リサーチ活動の進め方」、「ビジネス・インタビュー入門」という本がある。
これらの本には、調査の手順、手法、ビジネスマナー的なことが書いてある。
内容的には大したものではない。本当に大したことでなく、ものの5分で読める程度のことを日常的に実践できているかどうかを確認するために役立つ本である。(謙虚な人には)役立つ本だと思う。
ここで紹介した二冊については、前者はこれらのビジネス書を踏襲し、後者は逸脱した部分があるようだ。
まとめに入りたい。
本稿では、保守層の方が、調査ものを当事者として扱わう場面を想定し、二冊の本を事例として紹介し、調査者として守るべき(暗黙の)ルール、対応のあり方について、述べさせていただいた。
調査の手順、手法には正解はない。だが、相手が人間となる場合、慎重な配慮の前提での取材が求められることは当然であり、取材者は、諜報機関経験者であればあるほど調査者の素性を観察している。
調べたつもりが、調べられているのは実は調査者であり、調査者の姿勢、目的をどう説明するかが取材および調査全体が成功する鍵になっていることを指摘し、本稿を終える。
無人機やサイバー攻撃対策など軍事技術研究に16大学が応募…防衛省!
http://blog.livedoor.jp/corez18c24-mili777/archives/45493565.html
私は、戦時中に、軍事技術研究に係ったと思われる、大学教官、高校教師に遭遇した事を思い出した。彼らは、こういう趣旨の兵器の開発を担当したとか、こういう実験を繰り返したと、講義中あるいは授業中に語っていた。
その中に、薬品のせいで顔の皮膚が変色された方、片腕がない方もいた。
時代は変わり、日本の大学もやっとGHQなどに押しつけられた、敗戦国の呪縛から抜け出しつつあるようだ。
各大学が時代の趨勢を察知したためか、どこかの大学が作成したものを流用したのかはっきりしないものの、「17大学が軍事利用可能な研究への対応について明確なルールを持っていた。」という報道に、私は着目している。
このルール、あるとないのとでは大違いな気がする。
技術者と倫理のテーマは、技術者として、避けては通れない、重たいテーマであるからだ。
いささか堅い話題となってしまった。
このルール、私は、当事者としての技術者だけでなく、その実態を調べたいとする、調査者(ジャーナリスト、ノンフィクション作家)も認識し、その調査作業に反映させるべきだという考えを持っている。
自衛官が自衛隊法を厳格に遵守させられることを求められる一方で
それを報道する、内閣記者倶楽部記者や論説主幹たちが、国家転覆に繋がりかねないような偏向・捏造そして、私的戯言が放置されてはいいと考えないからである。
ジャーナリスト、ノンフィクション作家たちは言うだろう。
自分たちは、真実を知るために取材し、その調査結果を報道する使命があると語るだろう。
しかし、ここ数年の実態はどうか。意図的な不報道(中国、韓国、在日、民主党に都合が悪い情報)、過剰報道(左翼のデモ、金大中の葬儀)、偏向・捏造が続出している。
そこで、本稿では、ジャーナリストやノンフィクション作家などの、調査者に課されるべき(暗黙の)ルールなるものについて、ノンフィクションものの著者がどう意識し扱ったか、二つの事例について比較を行う。
比較検証する本は、二冊ある。
一冊目は陸軍登戸研究所に係わる調査もののノンフィクション本、「陸軍登戸研究所と謀略戦 科学者たちの戦争」(渡部賢二、吉川弘文館)である。良好事例としてカウントすべき本という印象を持っている。
この本は、過去の調査研究、オフィシャル資料などをベースに登戸研究所の組織全体を押さえつつ、経緯、機能、成果を手際良くまとめている。
著者は、13~14頁の「本書の目的」にて、
「本書がめざすものは、けっして登戸研究所の関係者を糾弾し、その責任を追及することではない。国家が科学を戦争に動員するときに、どんな科学者・技術者が生みだされ、どんな兵器が作られるのかを検討すること、そして戦争ではなく平和で安心して生きられる社会に貢献する科学者・技術者を育てるには過去から何を学ぶべきか考えようとするところにある。」としている。
著者が、執筆目的を明らかにした点に注目したい。
そして、貴重な情報が得られた経緯について、かく紹介している。
―――――――――――――――――
204頁
同時に、最も私を支えてくれたのは、かつてこの登戸研究所に勤務していた人たちであった。当初はなかなか口を開いてはくれなかったが、次第に人間関係が生まれる中で、ついには話しだけでなく貴重な資料まで提供していただけるような関係にまでなれた。研究所に勤務していた人たちの親睦団体「登研会」にも二〇年くらい前から参加させてもらうようになり、通常だと聞くことの難しい話しを聞くことができた。登研会も、会員だった伴繁雄さんを中心に、それまで「墓場まで持って行く」と口をつぐんでいた内容を自分たちでまとめ上げ、明治大学に対して資料館設置の要請を出すまでに変化した。本来ならば埋もれてしまう事実を語り、資料まで提供してくださった登研会の皆さんのご苦労とお力添えなしには、資料館も本書も有り得なかった。深甚の感謝の意を表したい。
―――――――――――――――――
著者は、取材先に対する配慮と感謝を忘れていないようである。
著者は、元高校教師、政治思想的にはリベラルの可能性はある。この本の欠点を強いて挙げるとすれば、内容が概括的なものに留まり、個別事項については、追跡取材が必要な部分が存在することではあるが、著者は、調査対象全体の骨格をほぼ網羅しているところから、やろうと思えば、個別各論の追跡調査・取材は容易ではないかと思われることである。
すなわち、各論に入る前の下地準備について、著者はほぼ終えているのである。
ただし、この本はそう売れている訳ではない。それなりの良書なのに。
次に、似たようなテーマの調査ものの本を紹介したい。
「陸軍中野学校の真実 諜報員たちの戦後」(斎藤充功、角川文庫)である。
著者は、登戸研究所の本も書いているが、本腰をすえて取り組んだのは、中野学校の方なので、こちらで比較させていただく。
実は、この本については良好事例かどうか判断がつきかねている。文庫本化されているため、確かに売れたようである。
執筆動機については、文庫本あとがきにて、『「関係者の口から陸軍中野学校を調べてみると面白いですよ」と、聞かされたことが取材のステップになっていた」とある。
取材の難しさについては、同じく文庫本あとがきにて、こう書いてある。
―――――――――――――――――
卒業生は噂に聞いていた通り、口が堅かった。取材でお会いした関係者は五十人を超えたが、「中野学校の真相」について語ってくれた卒業生は、ほんの一握りであった。しかし、そのことが却って刺激になり、また、取材の意欲を掻き立てた。関係者が神経質になったのは「戦後の卒業生の生き方」で、夫々の人生に封印をして戦後を生きてきた人が多かった。
―――――――――――――――――
文章内容的には、冒頭はそうではないが、取材に偏重し、著者が遭遇した事実(著者と取材先の会話)について、テープレコーダーに語ったことをテキスト化したような文章が、後半に移るにつれ、続出する印象がある。
ちなみに、取材相手には、著者はこう言われている。
―――――――――――――――――
「なにを聞きたいのですか。お役に立つとは思いませんが」(75頁)
「とにかく会うだけでもあってもらいたい」(75頁)
「あなたにお話しすることはなにもありません。憶測で記事を書けば法的手段を取ります」(138頁)
「意を決して土間に入り、身分を名乗った。訪問の目的を告げた。(147頁)
「清沢宅へは連絡なしの突然の訪問であった。私は内心、清沢が会ってくれるかどうか気を揉んでいた。(153頁)
「もう訪ねてこないでほしい。体調も優れないし、あなたには会いたくない」(157頁)
「もう、これで終わりにしましょう。前回話した以上のことはなにもありません。」(158頁)
―――――――――――――――――
著者は、関係者であることがわかれば、とにかく会い、話を聞きだすことに精力を集中していたことがわかる。出版社から旅費を貰っていた?関係で、こういう経緯まで書かざるを得ない可能性もある。
そして気になるのは、文脈などから、事前に、調査目的、調査事項を特定して訳ではなさそうであることだ。
取材先にとって、(悪意にとれば)著者は、取材先の過去の悪事を暴き、その情報で以て、一儲けしようとしている人間に見えたのだろう。
著者は、真実を知るために、と抗弁するだろう。それならば、なおさら、客観性を担保することにつながる準備、取材先への保証、取材依頼に係わる手紙等の依頼状は必要だったはずだ。
取材先は、確かに高年齢である。残された時間はない。著者が、功を焦り、強引過ぎた面もある。そして、肩書ある高齢者ほど、プライド至上主義なのはビジネス上の常識である。
もっとも、口が堅い中野学校出身者が、組織あるいは個人の不名誉な事を進んで言うはずがないと考えたら、著者は慎重な対応上の配慮が求められたはずだ。
著者の近刊のタイトルを眺めてみたい。著者は未解明で売れそうなテーマを好むことがわかる。
・小野田寛郎は29年間、ルバング島で何をしていたのか
・「フルベッキ写真」の暗号 (mu NONFIX)
・消された「西郷写真」の謎: 写真がとらえた禁断の歴史
・明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌
著者は売れっ子のようである。
著者は、面白そうなネタだから、真実を知りたいという動機で書いた、と言うだろう。
「陸軍中野学校の真実 諜報員たちの戦後」を読む限り、調査者として本筋のやり方だったのか、私は疑問に思っている。
ここで、ビジネス書であるが、調査もののノウハウが書かれた本を紹介させていただく。
日経文庫の中に、「調査の進め方」、「調査・リサーチ活動の進め方」、「ビジネス・インタビュー入門」という本がある。
これらの本には、調査の手順、手法、ビジネスマナー的なことが書いてある。
内容的には大したものではない。本当に大したことでなく、ものの5分で読める程度のことを日常的に実践できているかどうかを確認するために役立つ本である。(謙虚な人には)役立つ本だと思う。
ここで紹介した二冊については、前者はこれらのビジネス書を踏襲し、後者は逸脱した部分があるようだ。
まとめに入りたい。
本稿では、保守層の方が、調査ものを当事者として扱わう場面を想定し、二冊の本を事例として紹介し、調査者として守るべき(暗黙の)ルール、対応のあり方について、述べさせていただいた。
調査の手順、手法には正解はない。だが、相手が人間となる場合、慎重な配慮の前提での取材が求められることは当然であり、取材者は、諜報機関経験者であればあるほど調査者の素性を観察している。
調べたつもりが、調べられているのは実は調査者であり、調査者の姿勢、目的をどう説明するかが取材および調査全体が成功する鍵になっていることを指摘し、本稿を終える。
この記事へのコメント
軍事技術から多くの科学技術の進歩が得られているのも、皮肉ではありますが、事実ではあります。したがって、一概に軍事技術であるからといって、それ自体の研究を禁じるのには、慎重にならざるをえません。
現状では、武器の製造や生物・化学兵器の製造などは、法律で禁じられている事もあり、できないと思いますが、技術力としては、作ろうと思えば作ること自体は出来ます。
また、そういった兵器自体を研究する事自体は禁じられているかどうかといえば、それも違うかと思います。
例えば、生物・化学兵器などは、その成分や人体に与える影響などの効力を調べる事で、万一それが使われた時の防疫・対処法を研究すること自体は禁じられていないかとは思います。
しかしながら、こういった軍事研究も、結局は国家の思惑に左右されるところが大きいのかもしれません。
その狭間で苦悩するのが科学者・技術者ではありますが、やはりここは、なるべくそういったものが使用されない道へ持っていくしかないのかなとは思うところです。
731部隊も、生物兵器対策で生物兵器を作っていた可能性はありますが、実際に使用したかどうかまでは分かりません。
ジャーナリスト、ノンフィクション作家などは、真実を暴く為に日々取材や調査をしているのは、事実でありましょう。
しかしながら、真相が謎のまま噂が独り歩きして既成事実化してしまう事が、最も恐ろしい事ではあります(慰安婦、南京大虐殺など)。
こういったものは、どちらかというと悪い方に印象が偏りやすい為、たとえ証言者自身が存在を証明できなくても、十分こちらの評価を下げる事ができる為、一度疑われると、こちらの信用が無くなってしまいます。
さらにそれを政府が存在したものとして認めてしまうと、政治的に評価を覆すことはさらに難しくなります(これが河野談話の弊害)。
正直、慰安婦や南京大虐殺の問題などは、既成事実化され、特あの外交戦略として使用されないように、こちらも逐一反論を続けるしかないでしょう。
少なくとも、安倍談話で謝罪の連鎖を断ち切る事を宣言した事は評価しますが、今後特亜から謝罪などを求められても条約で解決済みで一貫するしかないという事になります。
悪魔の証明は、議論の場ではタブーでありますが、外交戦略としては十分に相手方の評価を下げる為に、効力のあるものであるという事です。
中野学校関係者は、取材に協力するふりをして、ノンフィクション作家を泳がせたのでしょう。
<悪魔の証明は、議論の場ではタブーでありますが、外交戦略としては十分に相手方の評価を下げる為に、効力のあるものであるという事です。
そういう見方があるのですね。
ただ、南京虐殺を否定する本に、悪魔の証明の使い方について言及がなかったことが残念です。
慰安婦問題、南京虐殺に係わる嘘・捏造の類については、風説の流布行為として一括処断すべく、法整備を急ぐべきと考えます。