統一地方選挙ネタ 国会議員並の実力があった地方議員の話

保守陣営において、実力ある地方議員が続々増えている感がある。

拙ブログは、以下の4人の地方議員については、いつ国政を目指しても不思議ではないと思っている。

小坪しんや 行橋市議(【外国人の扶養控除】海外扶養控除、書類義務付け=不正防止へ16年から-政府・与党)
http://samurai20.jp/

金子やすのり 札幌市議(最新稿にて、アイヌ支出事案官製談合を取り上げ)
http://kaneko-yasu.seesaa.net/

小坂英二 荒川区議(パチンコ違法化の元祖)
http://kosakaeiji.seesaa.net/

小野寺まさる 北海道議(アイヌ不正支出問題の元祖)
http://www.onoderamasaru.jp/

さて、先日、母校出身者について書かれた郷土史の本を入手し、思いがけない事実を発見した。

自転車屋出身だったと思ってきた、ある市議(引退し、今は故人?)が、自民党本部直結の大物市議だったことを発見したのである。

私が、経験し、知っている事実をまず紹介する。

私は、その市議が立候補する前の時代、その娘さんと小学生時代、4年間ほど同じクラスとなった。彼女は、成績はさほどではなかったが、間違ったこと、規則やぶりを嫌う、正義の使者そのものだった。彼女は、間違った行為をするふざけた男子生徒を見つけ次第、平手打ちにした。彼女には、生活委員ポストが文句なしで付与され、その一方で変なあだ名がつき、彼女はそのあだ名のせいで平手打ちを躊躇するようになった。私は、幸い被害者?ではないが、振り返って思うに、乃木希典の奥さんのように気性の激しい人ではなかったかと思っている。
彼女の家は、市街地の自転車屋だった。半径3キロ程度以内の人たちは、この自転車屋の商圏だったように思う。この自転車屋、誠実さ、丁寧さにおいて近隣自動車店を圧倒する存在で、この自転車屋はいつも繁盛していた。また、同じ年代の小学生の誰もが、自転車屋はこの店であると、いの一番に言うほど、この店は信頼され。近隣住人誰もがこの店で自転車を購入していたように思う。

そんな自転車屋の主人の副業は、消防団員だったように思う。つまり、普段はおじいさんが自転車屋をやるのであるが、消防の仕事が非番の日はこの自転車屋を手伝うのである。

そんな生活をしていた、自転車屋の主人が、自民党公認で市議に立候補した。事情を知らない周囲は驚いた。案の上1回目は、あえなく落選したと記憶している。しかし、めげずに、近所、同級生の家の挨拶廻りをして、満を持した2回目は、中位で当選したと記憶している。
もちろん、私の親は、後援会会員となり、選挙になると、他の同級生の母親と同様、炊き出し、お茶出し、雑用等の手伝いに行った。

そうこうしているうちに、私が大学卒業期となり、地元で就職先を探すため、この市議の自宅をお邪魔させていただいた。あの同級生の娘さんがお茶を出してくれた。私は、十数年ぶりに彼女に会い、挨拶した。彼女が入れてくれた、お茶はとても美味しかった。市議曰く、是非地元で働いてほしいとのことだった。私もそうしたかったが、地元には企業がなかった。市職員なら、○○枠で一次試験さえ突破してくれれば後はなんとかすると言われたが、私には、その○○枠が荷が重いため諦め、就職先が決まってから、礼状を出した。

ただ、同時期、同級生の親たちは、この市議にコネ採用の働きかけを行ったが、採用されないと憤慨していた。従って、私が受験したからと行って採用とはならなかったかもしれない。

この市議、ある時、自民党政権中枢の相次ぐ、不祥事に嫌気がさしたようで、当時の自民党総裁宛てに要望書を提出し、その文書が公開され新聞にて報道された。なかなか胆力ある方だったことをその時に知った。

それから数十年が経過し、私は、その自転車の店の前を通りがかった。店の名は変わっていたが、今も自転車屋だった。周辺の商店は様変わりしていたが、やはり、この場所の自転車屋だから商売が続けられるのだろうと直感した。

以上が、私が知っていた、この市議、そして家業ならびに娘さんの情報である。


私の中では、この市議、その辺の市議と同程度と思ってきたのであるが、母校(高校)の人物伝の古書をつい先日購入し、この本の中で、この市議が立候補するまでの経緯が克明に書かれており、その内容に仰天し、その市議に対する見方を180度変えた。

その市議たるや実力を兼ね備え国政に影響力ある市議だったのである。

その本に書いてある、略歴を抜粋して転載させていただく。

代用教員7年間
家業の自転車屋3年間
自民党青年部に入る
自民党支部青年部の幹事、部長歴任
都道府県連青年部長就任(全国の青年部員と政治論をかわす。竹下登、海部俊樹と知り合う)
佐藤栄作首相時代、総裁選挙後の総理官邸でのレセプションに出席
国会議員の秘書となる(約10年間)
市議に立候補当選(当選直後であるにも係らず、議会運営委員会の副委員長となる、二期目以降は委員長ポストを歴任)

自民党地方支部の青年部は、今とは、随分違う位置づけにあったのではないかと思う。

なお、私は、この市議のイメージは、戦後、自民党の実力者だった、頑固一徹、生真面目で知られる、保利茂、保利耕輔という政治家に近いものを感じている。

保利茂
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E5%88%A9%E8%8C%82

保利耕輔
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E5%88%A9%E8%80%95%E8%BC%94


私が住んでいた街では、国会議員よりも市議会の要職の方が力があったと噂されていた時代があった。この市議会要職の方は、履物屋の主人だったが、なぜか国政に立候補しようとしなかった。そして、今回紹介させていただいた市議とは、この市議会要職の方が市政を仕切り、国政選挙の選挙参謀兼責任者だった時代の市議なのである。

どこの党とは書かないが、地方議員が、国会議員事務所からの指図により、政治資金等を上納させられ、いろいろなことで動員され、「将棋の歩」みたいな扱いを受けているご時世ではあるが、こんな市議もいたことを知っていただきたいと思い、書かせていただいた。

立候補する10年以上も前に、志が先行し、政治を深く学んだ、この市議のような地方議員が、今度の統一地方選挙にて多数当選されんことを願ってやまない。

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