東電福島原発を救った会津魂 吉田所長に係わる隠蔽された事?

東電福島原発の事故発生時の吉田発電所長が逝去されて、1年が経過した。

吉田昌郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%98%8C%E9%83%8E

その吉田所長の死については、暗殺説が囁かれている。

★東電:吉田所長の死は暗殺だったんじゃないのか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13110080038

当時の東電幹部(大部分が民主党支持?)、民主党政権にとって、都合が悪い情報を握っていた人が亡くなってしまったようである。

その死の直後から、菅元首相は、弁舌さわかやになった。不思議なことだ。余程後ろめたいことがあったのだろう。

その吉田調書なるものが公開され、産経などから一部報道がなされている。

吉田所長は、菅元首相の指示?を完全に無視し、民主党の細野原発担当大臣の監視下、敢然と指揮をして、なんとか、あの程度で食い止めた人である。

なんとか、あの程度で食い止めた、という表現には異論あるだろうが、私なりの経験でかく推測する。

東電福島原発(第一、第二)には、たぶん東電社員だけで1000人はいただろう。
1000人規模の技術者を常時配置できる原発をかかえているのは、日本では、東電、関電、中電くらい思いつかない。
つまり、1000人もいれば、多少の大事故となろうが要員面で困ることはないだろうということである。
従って、事故が起きた電力会社が東電だったことは、日本にとって、まだ不幸中の幸いだったと私は思っている。

彼らの組織のトップは、東大原子力工学科卒であることは言うまでもない。吉田所長は東工大なので、あの組織では傍流に過ぎず、人事上は、冷や飯続きだったはずである。
それでも、彼は、立派にやり遂げた。このことは確かである。

その次に、不幸中の幸いだったことは、
福島という場所柄、義理人情というか、いざとなったら身を捨ててでも頑張る、「会津魂」の土地柄だったことだ。
幕末、維新にかけて、会津藩が旧幕府勢力の中核となった。白虎隊の悲劇は、偶然ではない。そういう土地柄なのだ。

東電の吉田発電所長は、気さくでひょうきんな人柄であると、面識あった人に取材して私は聞いている。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%98%8C%E9%83%8E

吉田昌郎

大阪府出身[1]。身長180センチ[2]。

大阪教育大学附属天王寺中学校(21期)、大阪教育大学教育学部附属高等学校天王寺校舎(15期)を経て、1977年に東京工業大学工学部を卒業[1]。高校時代は剣道部と写真部[2]、大学時代はボート部に所属[2]。1979年同大大学院で原子核工学を専攻[1]。通商産業省からも内定を貰っていたが、大学の先輩の勧めで東京電力に入社[1]。社内の評価は「豪快」「親分肌」[2]、部下思いのため現場の信望は厚く性格はおおらかといわれている。偉ぶることのない性格で、部下の社員のみならず、下請け企業の作業員からも人望があった[2][3]。福島第一原子力発電所での部下だったサッカー女子日本代表の丸山桂里奈は吉田を「いつも優しくて、面白い」と評している[4]

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まさに、ここで書かれているとおりの方だったのだろう。

ここで少し脱線させていただくが、Wikipediaでこんなに性格的にベタ褒めされる方はそういない。
サラリーマンの退職記念品奉加帳のような記述が散見されることから、東電の福島発電所の(福島出身の)女性社員たちが、今も彼を慕い、彼の死を悼み、自分たちの故郷福島をなんとか守りぬいてくれたことへの感謝が伺える文章である。

また、報道などで伝えられる以下のような経緯を知ると

【社会】吉田元所長の指揮に評価、調書公開で名誉回復を 「実直で責任感が強く、うそをつかない人だった」
http://kuromacyo.livedoor.biz/archives/1781895.html

いわゆる「会津魂」そのままの生き様だったような気がしている。

コラム:これぞ会津魂! 藩主を守って散った名家老
利を求めず、義に生きる。会津藩士の精神を体現した名家老「萱野権兵
http://www.yae-mottoshiritai.jp/seishin/column-sugano.html

彼は、大阪生まれ大阪育ちの人のようだが、原発所長となり、福島のさまざまの階層の方々と接するうちに、会津魂を注入されたのだと私は推定している。

「会津魂」に係わる、この種の、感動的な史実を知ると、たぶん、「あること」に思い至るので、吉田所長なら完全に隠蔽したであろう、「あること」について、私は書かずにはいられない。

それは、吉田所長の私的な「あること」である。

吉田調書には、業務上の意思決定と手順が妥当だったか、それを検証する目的で書かれていると思う。亡くなった個人の思いまで、書くはずもないことは、書類の性格上、説明するまでもない。


東京電力および担当医は、吉田所長の死因を極度のストレスではないかとしている。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%98%8C%E9%83%8E
。東京電力によると被曝線量は累計約70ミリシーベルトで、医師の判断では[15]、被曝と病気との因果関係は極めて低いとされている[16]。米山公啓聖マリアンナ医科大学医学部第二内科元助教授は職責などからくる極度のストレスが原因ではないかと指摘している[17]。

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私は、「報告されている被爆量以上の被爆による殉死」ではないかと疑っている。

このサイトにて、被爆線量の評価について、議論がある。

吉田昌郎元福一原発所長の食道癌死の事で教えて頂けますか? 被曝http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13110230423(ひばく)放射...

どの説を信用するかは、読まれた方次第となることは言うまでもない。

発電所長というスペアがいない職責の中で、ああいう豪快な性格の人が、間一発の危機を立て続けに切り抜けるということは、許容被爆線量を越える被爆を職責上進んで受け、その結果、広範囲に及ぶ危機を回避することはできたものの、自身は発病して亡くなった可能性があることを私は指摘するのである。

たとえば、原子炉工学的にわからない方、以下のサイトに、どの程度まで事態が逼迫し、吉田所長が本当に、知力を尽くして、迅速かつ最善の処置をしたか、解説がある。

放射能から日本を救った会津魂
http://andreagritti.blog112.fc2.com/blog-entry-1812.html

事態は、本当に綱渡り、間一発セーフだったようなのだ!

それを可能にしたのは、吉田所長が、所長室に閉じこもらず、先頭に立って、機敏に動き、現場の主要箇所を見まわり、所員と作業員を励ましつつ、確認後に判断した結果としか思えないのだ!

どういうことかと言うと、
本当はあってはならないことだが、管理限界を越える分について、線量計停止?あるいは、別の人の名前で被爆していたことにして?、自らは、重大作業時に、現場第一線に立って、指揮し、一部始終を見届け続けた可能性があるのだ。

私は、その具体的手口までは書かない。
実務に精通されている方なら、やろうと思えばやれることかもしれないからだ。実際には、暴露され社会問題となった場合のことを考え、実行しないだけのことではないかと思っている。

しかし、あの場合、スペアの所長がいないのであるから、作業員はどんどん交代できたにせよ、所長が交代できないことは明らかである。

打合せでの、以下のような対応ぶりが事実で、あの豪快な性格なら、自身の被爆線量を「改竄する」ことぐらい朝飯前のはずなのだ。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%98%8C%E9%83%8E

3月12日、海水注入開始後に、開始したことを知らされていない首相の菅直人が海水注入による再臨界の可能性について会議で取り上げたことを受けて、官邸の了承を得ず海水注入を開始したことを問題視した東京電力フェローの武黒一郎は、吉田に海水注入の中止を命じた。吉田はこの命令を受領しておきながら独断で続行を決意し、担当の作業員に小声で「今から言うことは聞くな(実行するな)」と耳打ちしたうえで、本社とのテレビ会議システムが稼動する中[注釈 2]で同作業員を含む周囲部下全員へ「注水停止」を号令し、実際には注水を継続させた[26](注水継続の根拠たるデータ等の客観的証拠は未だ示されず、あくまでも吉田自身の証言に基づくマスコミ報道による)。証言については、直前のテレビ会議で武黒一郎らなどの注水停止命令に対し吉田は継続を一言も主張もせず、その後、注水を停止したと長らく証言し、国際原子力機関(IAEA)の査察団が来日した際に注水を継続していたと翻意し、客観的データもなくその後、証言が二転三転したと信用性に疑問も呈されている[誰?]。吉田は、翻意の理由を官邸や東電本社は信用できず、国際調査団なら信用できると最終的に述べている。メルトダウンが起きた後なので、証言を仮に注水停止したとしていても継続していたと言った方が得だと言う批判は残っている[誰?]。

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もし、そうだとしたら、発電所長は、自ら死を賭して事故対応に当たった、「会津魂の人」だったということになる!

事故直後、海外メデイアが、東電を守る50人の英雄達のことを讃え、報道した。

フクシマ50
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%9E50

ここに、企業別の英雄たちの内訳がある。是非確認いただきたい。

私は、ここに内訳ある誰よりも、吉田所長は、被爆した可能性を指摘している。
物理的に被爆しているのであるが、その管理すべき被爆情報が、あの危機を救うため、改竄されたのではないかと疑っている。

本来あってはならないことだが、大きな目の前の危機を救うために、敢えて「会津魂」に従い、そうしたのであろうと私は認識する。

それゆえ、(腰抜け)原子力保安院の職員が、勝手に退避したあとも、

福島第1原発から20キロ圏内の住民の避難完了後、原子力安全・保安院の職員らは50キロ離れた場所へ退避
http://rocketnews24.com/2011/03/16/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC1%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%8B%E3%82%8920%E3%82%AD%E3%83%AD%E5%9C%8F%E5%86%85%E3%81%AE%E4%BD%8F%E6%B0%91%E3%81%AE%E9%81%BF%E9%9B%A3%E5%AE%8C%E4%BA%86%E5%BE%8C%E3%80%81/

福島出身者が大部分を占める、東電社員やメーカーなどの企業の作業員の方々が、発電所長の生き様を(薄々)知り、「会津魂」を発揮して、進んで身を投じたのだ。

吉田所長と彼と一緒に闘った同志の部下、そして取引先の作業員からすれば、(吉田所長の大学の先輩だった菅首相)も東電本店の幹部も、馬鹿に見えたに違いない。


私がここで書いていること(仮説)は、今は、トンデモ話に聞こえるかもしれない。

しかし、まだ、吉田調書は、漸く開示されたばかりなのだ。関係者もまだ公に語る機会は与えられていない。

従って、私の仮説どおりであるかどうかは、吉田所長を間近で見ていた関係者が、事実が「あった」、事実が「なかった」を証言するまで確定しないことである。

たぶん、彼ら東電の関係者たちは、死の直前まで語らないと予測している。いや、語らない確率の方が高いと思っている。

それゆえ、私は、一周忌過ぎた、このタイミングで出稿するのである。

私は、吉田所長がおかれた状況から、

たぶん、こういうことが内部で起きていて、吉田所長の勇気ある対応を知り、それに触発され多くの作業員が逃げずに対応し、それを察知した海外メデイアがいち早く報道したと考えると、辻褄が合うというか、それが真実だったのではないのか!
と言いたいのである。

その証拠に、当時の民主党政権の関係者、菅直人も細野豪志も、吉田所長が強行継続した、海水注入およびその他の対応について、(神妙に)批判を避けている。
同じことは、東電関係者についても当てはまる。

最後に

①吉田所長は、会津魂で以て、原発事故の最前線を指揮したこと

②私は、吉田調書には決して書かれていないであろうこと、いや、決して書いてはならぬことを、(現場で真実を知るに違いない東電社員に代わって)、書かざるをえない気持ちから書いてしまったこと

③ここで書いていることは、関係者が数十年後に重い口を開くまで立証されないかもしれないこと

を指摘し、

また、

一周忌が過ぎても、あの世で東電福島原発を今も見守っておられるであろう、

吉田昌郎元所長のご冥福を改めてお祈りし、本稿を終えることとする。



参考
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http://www.yomiuri.co.jp/national/20140830-OYT1T50010.html?from=ytop_top

菅元首相を「おっさん」、混乱の張本人と指弾
2014年08月30日 08時48分
特集 福島原発

 当時首相だった菅直人氏についての吉田昌郎氏の言及には、混乱の張本人として指弾する強い憤りがにじむ。

 「(菅氏が)こんな大人数で話をするために来たんじゃないとかいうことで、場所変えろとか何かわめいているうちに、この事象(水素爆発)になった」

 福島第一原発4号機の原子炉建屋の水素爆発より30分ほど前の2011年3月15日午前5時30分頃。菅氏は東京電力本店に乗り込み、東電幹部らを前に「日本が潰れるかもしれないときに撤退などあり得ない。命がけでやれ。撤退したときは東電は100%潰れる」などと激高しながら話した。左手を激しく振ったり、拳を大きく振り上げたりする菅氏の姿は、テレビ会議の画面を通じて、吉田氏の目にも映っていた。

 「使いません、『撤退』なんて。菅(氏)が言ったのか誰が言ったのか知らないが、そんな言葉、使うわけがない。誰が撤退なんていう話をしているんだと逆にこちらが言いたい」

 水素爆発は、菅氏の話が終わって間もなくの同6時過ぎに起きた。

 「吉田調書」の中で、吉田氏は、菅氏が事故調の調査などに対し、「(首相)官邸の反発を受けて、東電側が全面撤退の主張を撤回した」との認識を示していたことについても批判。

 「あのおっさんがそんなのを発言する権利があるのか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。自分だけの考えをテレビで言うのはアンフェアも限りない」と述べ、菅氏のことを「おっさん」と呼ぶほどの憤りを示していた。
2014年08月30日 08時48分

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