スポーツ報道でも読売は産経に内容で完敗か!?

ロンドンオリンピック柔道で銀メダルをとった平岡選手の報道を読売と産経で、7月29日9時時点で比較してみた。

読売
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「情けない、悔しさでいっぱい」銀の平岡
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2012/news/martialarts/judo/1/20120729-OYT1T00131.htm
. ロンドン五輪・柔道男子60キロ級で銀メダルを獲得した平岡拓晃「ロンドン五輪の金だけを考えて、この4年間、やってきたので悔しいです。会場の応援が後押ししてくれているのは分かっていたので、金メダルでお礼を言いたかった。情けないです。僕が金メダルを取って、後につなげなければいけなかった。それが出来ず、悔しさでいっぱいです」
(2012年7月29日00時50分 読売新聞)

平岡が銀、日本人初メダル…柔道男子60キロ級
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2012/news/martialarts/judo/1/20120729-OYT1T00120.htm

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金メダルをとれなくて申し訳なさそなスタンスで書かれている。


一方、産経を読むと、まったく違うのだ。
銀メダルだったにせよ、自分を極限に追い込んでの銀だったのだ。
そして、監督の講評も手厳しい。

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http://sankei.jp.msn.com/london2012/news/120729/jdo12072907390009-n1.htm
平岡拓晃、メダルに言葉詰まる 母子万感、病と闘い「五輪の畳の上」感謝

2012.7.29 07:36

決勝で一本負けした平岡拓晃。後ろは金メダルを獲得し喜ぶロシアのガルスチャン=28日、エクセル (鈴木健児撮影)
 【ロンドン=田中充】屈辱的な初戦敗退を喫した北京五輪から誓った雪辱を果たし、柔道男子60キロ級の平岡拓晃(ひろあき)(27)は、銀ながらも日本選手として初のメダルを手中に収めた。「金だけを考えてきた」と話し言葉に詰まる。「悔しい」と続けるのが精いっぱいだった。だが、獲得した銀メダルは平岡にとっても、応援し続けてきた母、雅子さん(54)にとっても、「病」を越えてたどり着いた結果だった。
 表彰台に立つ平岡の姿を見て、雅子さんは泣きながら手を振った。「満足している」というように。平岡の顔も笑っていた。
 平岡が通った近畿大付属福山高校(広島県)の同級生で同高の職員、永井宏典さん(27)は今年6月、壮行会で会った平岡の姿と高校生時代のギャップに驚いた。当時の平岡は「穏やかで優しい人柄だった」という。その平岡が壮行会で北京での1回戦敗退をあえて口にし、「雪辱を果たす。集大成だ」と語った。
 悲壮感が漂っていた。永井さんは「おとなしい平岡とまったく違った。『こいつはメダルを取ってくる』と感じた」と、ロンドンでの活躍を確信したという。
 北京から3カ月後の平成20年11月、雅子さんに乳がんが見つかる。1週間後、「痛みで背負い投げに入れない」と話す平岡の右脇腹にも骨肉腫が発見された。
母はがんを隠した。平岡の骨肉腫は良性だったが、「身内にがんになった人おらんかったか」と電話で尋ねられた雅子さんは、涙とおえつをこらえた。
 日本にとって柔道は「お家芸」だ。敗戦に批判的な声は少なくなかった。平岡は精神的にまいっていた。 雅子さんは意を決してがんを打ち明けた。「お母さんの方がひどいね」。黙って聞いていた平岡は静かに、それでもきっぱりと、「自分には柔道しかない。だから、次のロンドンまで頑張る」と口にした。
 東日本大震災について、ブログに思いをつづったこともある。宮城県は初めて参加した国体の開催地だ。
 《皆さんに支えられて柔道を続けてこられたのに、いざという時力になれず申し訳ない気持ちです。畳に上がれることへの感謝の心を胸に一日一日を大切に歩んでいきます》
 こんな思いで、練習に励んだ。今年5月の全日本選抜体重別選手権の直前、雅子さんは「体調管理や減量のため食事の手伝いをしてほしい」と頼まれた。
 調味料までカロリー計算して平岡を支える妻の真汐(ましお)さん(27)を前に、「出番ではない」と思ったが、「親をそばにおいて安心させたいという気持ちがあったのかもしれない」と応じた。広島市内の実家から、茨城県つくば市まで出向いた。手料理で平岡を送り出した母は、ロンドンの地で堂々と戦ったわが子の姿に胸を熱くした。
 「北京で負けて、罵倒もされたが、応援してくれる人もいて、五輪の畳の上で試合ができた」と、感謝を口にした平岡。エクセルのスタンドからは温かく、惜しみない拍手が送られた。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/fight/579913/
平岡、無念の銀 日本勢初のメダル 柔道
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2012/07/29 00:45更新

ロンドン五輪第2日(28日)男子60キロ級の平岡拓晃(了徳寺学園職)は決勝戦でガルスチャン(ロシア)と対戦、一本負けし、銀メダル。今大会、日本勢のメダル第1号となった。

 平岡は試合開始直後から果敢に攻めたが、36秒でガルスチャンの内股をすくい投げで返そうとしたが、逆に足を取られ、あっという間に試合を決められた。

 平岡は初出場だった2008年北京五輪で初戦敗退し、ロンドン五輪での雪辱を期していたが、かなわなかった。

 ■平岡拓晃の話 「金メダルだけを考えて、この4年間戦ってきたので悔しい。皆さんのおかげでこの場に戻ってこられた。今はまだ、金メダルを取って次につなげられなかった悔しさでいっぱい」

 ■篠原信一・柔道男子監督の話 平岡は最後に絶対勝つという気持ちを出し切れなかった。五輪はたった1回の油断で失敗に終わる。そこが1番になれない、あいつの足りないところだ。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/fight/579937/
「本当によく頑張った」平岡選手の母校、祝福 柔道
2012/07/29 01:30更新
ロンドン五輪第2日(28日)「本当によく頑張った」。ロンドン五輪の男子柔道60キロ級で、平岡拓晃選手(27)が日本選手団初のメダルとなる銀メダル獲得を決めた29日未明、母校の近畿大付属福山高(広島県福山市)では、試合を観戦していた後輩の柔道部員らが決勝での敗北を惜しみながらも祝福の声を上げた。

 同校は、柔道場に大型モニターを設置し、総勢約70人が応援した。部員らは決勝での敗北に最初はぼうぜんとした様子。その後は校歌を歌い、銀メダルを祝福した。平岡選手を柔道部の総監督として指導した益田賢三さん(72)は「よくやったと思う。できれば抱きしめてあげたい」と教え子の努力をたたえた。 高校時代に平岡選手と寮生仲間だった永井宏典さん(27)は「負け方に悔いが残るので、もう一度頑張ってほしい」とエールを送った。

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産経は、日頃からネタを暖め、彼の名誉のために、事前準備し、これまでの取り組みを記事にしたのであろう。関係者含めてきちんと取材したことが記事になっている。
監督の手厳しいコメント、仲間の「負け方に悔いが残るので」コメントはなかなか報道できることではない。たぶん、この記者は取材先から信用されているのであろう。

一方、読売は素っ気ない内容である。
たぶん、読売のスポーツ記者はオリンピックのための準備を怠っていたのであろう。

7月29日9時時点では、読売の完敗だと言っていいだろう。


しかし、その数時間後、読売は、起死回生の記事を2つ出した。

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平岡、あと一歩世界一に及ばず…悔しい「銀」

http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2012/news/martialarts/judo/1/20120729-OYT1T00252.htm

どれだけ悔しい思いをすれば、世界の頂点を勝ち取れるのだろう。ロンドン五輪の柔道男子60キロ級で、2大会連続出場の平岡拓晃(了徳寺学園職)。

 世界選手権で2度、2位に甘んじていた平岡が、五輪の舞台でも銀メダルに甘んじた。

 初戦から、切れ味のある投げ技や足技が全開。準々決勝でフランス選手の変形柔道に手を焼き、残り7秒までリードを許したが諦めず、最後の一太刀で放った足技で有効を奪って粘り勝つなど、勝利への執念は十分に感じさせた。だが、勝負は非情だ。決勝は、平岡が強敵と恐れていたガルストヤン(ロシア)に開始41秒、力強い払い巻き込みで大きく裏返された。パワーの差を見せ付けられた。

 北京五輪の屈辱は今も忘れない。わずか1試合で敗れ去った悔しさを糧に4年間を過ごしてきた。「足りないものは自信。練習で質も量もこなし、それができたら、自然と身に着いてくる」。左右両方から投げが打てるし、無理な体勢からでも技に入れる天才肌の選手だ。力は十分にある。2009年秋には肘にメスを入れるなど、けがに泣かされてきたが、「稽古さえ積めれば結果は出る」という精神力が支えの男だ。

 柔道男子が史上初の金メダルゼロに終わった2009年の世界選手権。初日に登場して2位に終わった平岡は「僕が勝って、みんなを楽にしたかった」と嘆いたが、その思いはかなわなかった。

 「世界一を渇望している。そのことが自分を高めてくれている」と平岡は言い続けてきた。あと一歩で、世界一になれない悔しさ。何が足りないのだろう。負のエネルギーをため込んできたのに、大事なところで出しきることができなかった――。(下山博之)

(2012年7月29日12時52分 読売新聞)


揚げ物・炭酸断ち筋トレ…平岡、屈辱をバネに
http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20120729-OYT1T00499.htm?from=popin

全く体を動かせないまま無名の米国選手に敗れ、北京五輪はわずか1試合で終わった。

 柔道・男子60キロ級の平岡拓晃は、その屈辱をバネに銀メダルをつかみ取った。

 この階級には、五輪3連覇の野村忠宏が君臨してきた。その野村を倒しての北京代表だったが、心ない声は想像を超えた。「野村なら金を取っていた。何で平岡なんか出したんだ」。肉声やネット上の非難が容赦なく心を切り裂いた。引退が頭をよぎったとき、1通のメールに救われた。「野村さんを出せば良かったと言う人は、お前の頑張りを知らないから、そう言うんだ。気にするな。柔道辞めるなよ」。

 差出人は、シドニー五輪100キロ級金メダリストの井上康生さん。憧れの存在の言葉が、すさんだ心に染み渡った。

 北京は満身創痍(そうい)の状態で臨まざるを得なかった。無理な体勢からでも器用に技を出せるからけがをしやすい体質。動きの基軸となる左膝のじん帯を痛めてしまい、持ち味のスピードが出せなくなっていた。でも言い訳はしなかった。「そこまでの状態しか持ってこられなかった自分の責任」

 だから、4年前と同じてつは踏みたくなかった。筋力トレーニングを増やして強い体をつくり、好物の揚げ物や炭酸飲料は口にしなかった。「五輪の借りは五輪でしか返せない」との一念がそうさせた。

 北京五輪後、3回の世界選手権は銀、銅、銀で、世界一には届かなかった。最高の舞台で「銀メダルを取れたのは、北京の経験があったおかげです」――。五輪に痛めつけられた27歳の歩みを思えば、平凡な言葉にも実感がこもる。(下山博之)

(2012年7月29日14時09分 読売新聞)

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産経と同じ内容ではなく、視点を変えて記事である。
産経記事を意識して焦って記事にしたような気がする。

こう書かれれば、この勝負、引き分けでいいだろう。
ただ、この時点で記事にすることは、事前準備不足を疑われて仕方あるまい。

だがしかし、読売は、こんな国内報道を出してしまっていた。

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http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/news/20120728-OYT1T00793.htm

オリックス李の適時打実らず…日ハムに逆転負け
 日本ハム3―1オリックス(パ・リーグ=28日)――オリックスの李大浩(イデホ)が適時打を放った。
 六回の好機で、日本ハムの先発・吉川の直球を右前へはじき返した。「チームのためにしっかり打点を重ねたい」と話す主砲が、5試合ぶりの適時打でリーグトップを走る打点を57に伸ばした。

(2012年7月28日17時59分 読売新聞)

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読売は、オリンピックでまともなスポーツ記者?がロンドンに移動して、国内の報道体制が手薄なようで、韓国選手ヨイショ記事が飛び出している。
日本ハムファンが読めば、なんだこの見出しはと思う内容である。

こういった一連の流れを注意深く観察すると、読売の記事の劣化が起きているような気がするため、今後も引き続きWatchしておきたい。

この記事へのコメント

coffee
2012年07月30日 02:08
平岡は世界ランキング10位でしたから、大健闘でしょう。
Shirasu J
2012年07月30日 06:28
そういえば表彰台での表情は晴れ晴れしてとてもうれしそうでした。

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