慰安婦問題を外交的に終結させる方法(ベトナム政府は韓国政府に対し謝罪と補償を求める権利がある)

どれも新聞やテレビで報道されていないことだらけだが、韓国軍がベトナム戦争で残虐行為を行ったことはどうも間違いないいようだ。

日本のマスコミはベトナム戦争でアメリカ軍の虐殺行為のみ報道していたと記憶しており、その頃から日本では韓国に都合の悪い報道は不報道とされてきたようだ。

また、アメリカがベトナム戦争で敗北した原因は、国内での厭戦気分、北爆の停止、枯れ葉剤、ナパーム弾の使用の指摘などいろいろがあるが、アメリカ軍の友軍の残虐行為を野放し・不問とし、ベトナムの人たちがアメリカ軍に愛想尽かしたことと無関係ではあるまい。

Wikipediaに村々に虐殺の慰霊碑に関する記述があるので私はそう確信せざるを得ない。

そして、慰安婦問題の嘘と捏造に怒る一人の日本人として、もしベトナム政府が韓国政府に対し謝罪と補償を求めるならば、この運動を積極的に支援すべきと考える。

それが、外交的に「嘘と捏造で固められた慰安婦問題」を終結させ、また国内にいる反日勢力の活動をやめさせるための最大の切り札となるのではあるまいか。


以下は参考文献。

ブログ博士の独り言から
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http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-571.html

韓国はベトナムで何をして来たか!

女性たちを強姦した後、殺害
韓国軍は残酷な大量虐殺を行ったため、南ベトナム民族解放戦線(NLF)さえ、できるだけ直接的な交戦は避けようとした程だったと伝えられる。前線もなく、敵が誰なのかもわからないベトナム戦でベトコンの根拠地を捜索、 破壊するという作戦上の名分が老若男女を区別しない虐殺行為を正当化させた。筆者が持っている記録は、その内容が非常におぞましく、詳細に明らかにするもので、負担がなくはなかったが、 その一部をここに紹介する。「ハンギョレ21 1999年 05月 06日 第256号」/写真は同記事より
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韓国軍のベトナム戦争参戦

 有志ブログの多くがあつかわれて来た事柄と思う。真実に取り組み、英邁な論及を尽くす諸氏に敬意を捧げ、小ブログからも小稿を呈する。読者からお知らせいただいたこともあり、小稿では、ベトナム戦争における韓国軍の行為について触れる。

 好き嫌いの感情次元の問題ではなく。特定国の侵蝕を許せば許すほど、日本社会は秩序と国益を喪失し、国民生活も危うくなる。その教訓の一端を、ベトナム戦争、およびその戦後の事例に観ることができる。

 韓国軍のベトナム戦争参戦は昭和39年(1964年)に始まっていた。当初は、医療支援団や教官等、約270名をサイゴンの南のプンタウに派遣。翌1965年2月に、米軍が北爆を開始、次いで米海兵隊が3月にダナンに上陸。それに続き、10月から、韓国軍は1万数千名を派兵して本格的に参戦した。

 以後、1965年から73年までの間、韓国軍の戦闘部隊約30万名がベトナム戦争に参戦。この過程で、韓国軍は戦死者4960余名、負傷者10余万名を記録。一方、韓国軍が殺傷したベトナム人は4万1450名(公式統計のみ)に上る、と表題記事は伝えている。

 韓国軍の派兵は、米軍に次いで多かった。その理由は、「派兵規模」に応じた「補助金と対米移民枠」を得られたからであった。いわば、韓国にとっては、あからさまな国益を兼ねた参戦であり、しかし、その残虐ぶりは、後に自国のジャーナリズムが報じるようになり、「住民虐殺」と「韓越混血児(ライタイハン)」が問題として問われることになった。
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残虐を極めた韓国軍

 同記事には、『韓国軍は残酷な大量虐殺を行ったため、南ベトナム民族解放戦線(NLF)さえ、できるだけ直接的な交戦は避けようとした程だったと伝えられる』と、特に、掃討作戦における非道の様子を記している。

 同記事は、韓国軍の残虐行為を次のように概略している。

(以下、引用)

 このような捜索掃討作戦は、一次的にじゅうたん爆撃等で作戦地域を公開して、 韓国軍等の地上軍が現場に投入されて村に残っている住民たちを即決処分した後、家を燃やしてブルドーザー等で村全体を押し潰す方式で展開した。生存者の韓国軍に関する証言で共通な点は、 無差別機関銃乱射、 大量殺戮、 妊産婦、 女性に対する強姦殺害、 家屋への放火などだ。生存者の証言を土台に韓国軍の良民虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通した類型が現れる。

-住民たち(大部分が女性と老人、 子供たち)を一ケ所に集めた後、あるいはいくつのグループにまとめて、機関銃を乱射して抹殺する。

-住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やす。

-子供の頭を割ったり首をはね、 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む。

-女性を強姦した後、殺害して、 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。

-住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させる。

 韓国軍の大量虐殺が強行された所では、子供たちの口にキャンディやケーキが含まされていた。老人たちの口にはタバコが咥えられていた場合が多かった。恐らく、村人を安心させながら一ケ所に集めるための手段だったようだ.

(以上、引用)

 以上、ごく一端ではあるが、韓国の雑誌「ハンギョレ21」誌の記者が「自ら取材し、掲載した」とされるの和訳記事から一部を紹介した。
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韓国の謝罪も補償も無し!

 ベトナム戦争の「混血児問題」として知られている事実が、上述の「韓越混血児」がある。ベトナム戦争に参戦時に、韓国軍兵士や軍属の韓国民間人が「強姦」「非管理売春」「現地妻の保有」などにより、多くの混血児が生まれ、戦後に放置された問題である。

 『現地妻との間に生まれた混血児の数は、2004年9月18日付の釜山日報の記事によれば、5千~3万人と推定されている』(Wikipedia) 。また。『現時点では、韓国政府から被害者や混血児に対する謝罪や補償は行われていないが、最近、韓国人(父親)が認知しない場合でも、写真など客観的に関係を立証する資料があれば国籍を付与する法案を積極的に検討する事にした』と(同)ある。実施ではなく「検討」である。

 「謝罪と補償」。その見方にもよるが、速やかにそれらを実行する日本政府の対応とは雲泥の差がある。また、金大中氏(当時・大統領)が訪越(1998年)した折に、戦争当時に、ベトナム人に苦痛を与えたことに対して謝罪した、伝えられ、その折に、『ベトナムのチャン・ドク・ルオン大統領は、両国は未来志向的に関係を構築していかなければならない」と述べ過去には関心を示さなかった』(同)とあるが、韓国は、直後に謝罪を撤回している。

 韓国にとっては、日本に対する“加害責任”を問い続ける立場から、金大中氏の「謝罪」は外交カード維持のためのポーズではないか、と認識されている。ゆえに、混血児を産んたベトナム女性は、韓国からは補償をまったく受けていない。自国民が犯した罪の謝罪と補償を果たさない韓国。このような国家が、日本に対して“従軍”慰安婦の難題を、しかも捏造をもとに延々と突きつけ、補償せよという権利はないのである。
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国際結婚「韓国人、女性を商品のように扱う」…ベトナム

 昨年の中央日報の記事(2006年4月29日)だが、『結婚相手を探しにベトナムを訪れた韓国人男性たちがベトナム女性を商品のように扱っているとベトナム新聞が報道し、現地で「反韓」を買っている』との記事があった。

 仲介業者を通じた韓国人男性とベトナム人女性の国際結婚のケースが多いようだ。韓国人男性に、『番号札をつけて集まったベトナム女性たちの顔写真を載せ「韓国の王子様、私たちを連れて行ってください」という説明をつけた』と。商品のようにあつかわれたと「反韓」を買っているとの記事である。

 女性を「モノ」として見る傾向は、日本で多発している韓国人による性犯罪の事例を観ても、その傾向をはっきりと読み取ることができる。まして、ベトナム戦争における残虐。そこから遡及する朝鮮戦争時における残虐。その韓国の歴史にこそ、「従軍慰安婦」「性奴隷」が存在しているのである。
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【筆者記】

 表題に引用した記事には、筆舌に尽くし難い残虐行為が記されているため、小稿への引用は概略だけに留めた。「ベトナム戦争に勝った」。その意識しか持てないとすれば、韓国は「恥を知らない」国家である。その体質は、まさに、上述の事例にも象徴されている。

 日韓基本条約締結において、ありとあらゆる設備、インフラ、経済支援を提供し、その後も、支援を重ね、丁重に過ぎる対応を為して来た日本。この日本に対し、「歴史認識」を問う前に、自国の歴史こそ正しく問うべきである。日本に対する「補償」請求を云々する前に、自国こそが、多大な苦痛を及ぼした国に補償すべきである。

 為すべき国家責任を果たさず、ひたすら日本に冤罪(えんざい)を着せ、謝罪をはじめ、補償や支援をせびる。その国家体質を根底から改めない限り、韓国はますます国際社会から取り残されて行くであろう!
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ライタイハンに関する情報
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3

ライタイハンの数と原因 [編集]ライタイハンの正確な数は、諸説ありはっきりしない。1500人(朝日新聞・1995年5月2日)、2千人(野村進)、最小5千人(釜山日報)[1]、7千人、1万人以上(名越二荒之助[2]など)、最大3万人(釜山日報)[1]としているものもある。彼(彼女)らの中には父親の記憶を持たず、韓国語を話せず、写真だけが唯一残された思い出という者がいる[3]。韓国との混血児は名乗りでないとの主張もある[2]。正確な調査が行われないまま、援助団体が支援を主張したため、数が膨れ上がったとの批判もある[4]。しかし、集団として注目できる、まとまった数の混血児が発生したのは事実である。

原因については韓国軍兵士による強姦、兵士や民間人が「『妻』と子供を捨てて無責任にも韓国に帰国したこと[1]」とする現地婚[5]、「ベトナム人には美人が多いので、女は皆、慰安婦にさせられた。[2]」とする慰安婦(非管理売春)などと複数のことが言われているが、十分な調査も行われていない状態でありどれが主な原因なのかは判っていない。

ただし、南ベトナム解放民族戦線が放送によって、韓国軍による拷問や虐殺事件、あるいは婦女子への暴行事件を連日報じていた[2]ことは事実であり、各地の韓国軍による虐殺、暴行事件の生存者の証言に共通する点としても婦女に対する強姦が挙げられている[6]。

戦闘終了後の治安維持に入ると韓国軍は兵士の行動を厳しく律したが、猛虎師団の一兵士が村の娘を強姦して軍法会議にかけられる事件が起きている[7]。他方、韓国軍の兵士がベトナム人の母と子を置き捨てて帰国したため、軍司令部が再志願させてベトナムに戻し、結婚式を挙げさせた旨が伝えられている[7]。

背景 [編集]当時、韓国の朴正煕政権は反共を国是とし、分断国家としてのシンパシーを訴えて派兵を推進した。安聖基は「参加する方では『男に生まれたからには、一度は戦場に赴かねば』という気風がありました」とも指摘している[8]。南ベトナムに派兵された韓国軍は、2個師団プラス1個旅団の延べ31万名。最盛期には5万名を数えた。また、「ベトナム特需」を当てこんだ産業資本や出稼ぎの民間人も進出し、これも最盛期には2万人近く[9]がベトナムに赴いた。

韓国軍は30万人を超すベトナム人を虐殺したとも言われ、ベトナムでは村ごとに『「タイハン」の残虐行為を忘れまい』と碑を建てて残虐行為を忘れまいと誓い合っているという[10]。

こうした中でライタイハンはこれら韓国人男性とベトナム人女性との間に生まれた[5]。

兵士や出稼ぎの民間人による本国への送金は、年に1億2千万ドルを数え、1969年の韓国の外貨収入の2割に達した[9]。アメリカによる軍事・経済援助、日韓基本条約による資金援助と合わせて、漢江の奇跡の基礎となった。

ベトナム戦争が終わり、南北ベトナムが統一して既に四半世紀が通ぎた。そして韓国ではここ数年、あの戦争をめぐり長らくタブーとされてきた過去について、かつてない議論が進められている。その過去とは、ベトナム戦争に参戦した韓国軍によるベトナム民間人の虐殺問題だ。最初にタブーを破ったのは、韓国のハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』だった。同誌は99年、韓国軍がベトナム戦当時に起こした虐殺事件について記事を掲載したのだ(5月6日号)。この記事を書いたのは、韓国人歴史研究者のク・スジョン。彼女はベトナム戦争の韓国軍の残虐行為が記されたベトナム側の資科を入手し、韓国の市民団体の一行とともにベトナム現地で検証を始めたのだ。ある地域で、猛虎部隊(韓国軍部隊)等による1か月間の作戦で1200名もの住民が虐殺されたという66年当時のベトナム側の報告を紹介しながら、同時に生存者たちの証言に基づき虐殺の様子を具体的に描いている。例えば、生存者の証言からは韓国軍による民間人虐殺の方法にいくつか共通した類型があったようだと、同記事には記されている。以下、その部分を略して引用すると「大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。女性を強姦してから殺害。妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す等々」だ。日本の戦争責任を追及してきた韓国の人々にとって、自国軍も虐殺をしていたのだという告発は、苦いものであったに違いない。続いて同誌の2000年4月27日号には、住民虐殺を行なったという元軍人による加害証言が掲載された。戦争当時、一般住民とゲリラを区別するのは難しく、我が身を守るためには仕方なかったのだとその元軍人は述壊した。しかし同時に、今やその行為に罪悪感を感じ、韓国政府がベトナムに謝罪し被害者に補償することを望むという彼の声も、同誌では伝えられた。これと前後して米誌『ニューズウィーク』が「暴かれた英雄の犯罪」と題してベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げた(2000年4月21日号)。ク・スジョンらの調査を紹介しつつ、「8000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為の数々」が明らかにされつつあると、7ページにわたり大々的に報じたのだ。タブーであった虐殺事件についてのこれらの報道に対し、韓国国内では激しい反撃が起きた。同年6月27日には、ベトナム戦に従軍した退役軍人ら2000人余りがハンギョレ新聞社に乱入しコンピュータなどを破壊した。彼らは「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバーで、国のために闘った戦友を冒涜されたと激しく抗議したのだ。ベトナムへの韓国人派兵は64年に始まり、延べで30万人以上の兵士を送り込んだ。米国に次ぐ大派兵であった。この戦争で約5000人の韓国人が死んだ。ハンギョレ新聞社に乱入した元兵士たちがそうであったように、アメリカ軍が散布した枯れ葉剤の被害に苦しむ元兵士らが、今も韓国には多い。ベトナム戦争当時、韓国軍総司令官だった蔡命新は、先の『ニューズウィーク』でのインタビューで「誰に対しても償う必要はない。あれは戦争だった」と明言している。アメリカ軍によるソンミ事件などの虐殺行為がベトナム戦争当時から国際的に批判を受け議論の的となったのとは対照的に、韓国軍による虐殺行為については、こと韓国国内では長く沈黙が保たれてきた。(中略)また全斗煥・盧泰愚両大統領がベトナム戦争で武勲を挙げた軍人であったという政治事情もあり、ベトナム戦での過去は、韓国では幾重にもタブーであり続けた。しかし、冷戦終結と韓国の民主化により、このタブーは破られた。(中略)韓国の歴史教科書には、ベトナム戦争についてほとんど記述はされていない。中学生向けの国定教科書に記されているのは「そして、共産侵略を受けているベトナムを支援するために国軍を派兵した」の約1行のみだ。(佐藤和「被害者史観韓国を揺るがすベトナム民間人虐殺の加害責任」『SAPIO』2001年9月26日号)

1965年から1966年の間、プウエン省のタオ村で、韓国軍は、ほとんど大部分が婦人の村人42人を狩り立て、やがて小火器を浴びせ、全員を殺害した。1966年1月11日から19日の間、ジェファーソン作戦の展開されたビンディン省では、韓国軍は300人以上の住民を捕まえ、拷問を加え、更にまた400人以上のベトナム人を殺した。1965年12月から1966年1月の間に、韓国軍は、ビンディン省のプレアン村では数百戸の家々を炎上させ、一方キンタイ村を完全に掃討した。同じ省の九つの村々で韓国軍は、民間人に対して化学兵器を使用したのである。1966年1月1日から同月4日までの間に、ブン・トアフラおよびヨビン・ホアフラ地方で、韓国軍は、住民たちの所有物を残らず略奪したうえ、住民の家やカオダイ教の聖堂を焼き、さらに数千頭の家畜を殺した。彼らは、また仏教寺院から数トンもの貨幣をくすね、それから人民を殺したのである。「ある村が、わが軍の支配下に陥ると、その次の仕事はベトコンから村人たちを分け離すことなのだ」こう言ってのけたという韓国軍将校の話しが引用された。ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を、防空壕の中へ押し込め、ナパームとガスで殺した。アンヤン省の三つの村では110人を、またポカン村では32人以上を、こうしたやり方で、殺したのである。1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に、防空壕の中へ押し込めて、化学薬で殺したり、全員を盲にさせたりした。1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で、韓国軍は、数千におよぶ農家と古寺院を炎上させ、若い女性や年老いた女性を集団強姦した。8月までに、勇猛な朝鮮人たちは、ビンディン省における焦土作戦を完了した。ブガツ省では、3万5千人の人たちが、死の谷に狩り立てられ、拷問を完膚なきまで加えられてから全員が殺された。10月には、メコン河流域では、裸で両手ないしは両足の19人の遺体が川から引揚げられた。これらは、いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。この事件に先立って、同じ地域で共同作戦中の米軍と韓国軍が、昼日中に結婚の行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦した、との報道もあった。かれらは、結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず奪ったうえ、3人の女性を川の中へ投げ込んだ。放火、銃剣による突き殺し、拷問、強姦、強奪こんな記事は、ほとんど毎日のように続いている。母親の胸に抱かれたいたいけな乳幼児でさえも、非人間的な殺人行為を免れることができないのだ。これは、たった一都市に起きた南京大虐殺どころの話ではないのだ。これこそ、アメリカの新聞の力をもってしても、中国の南京で起こった話を語ることのできない、今日のベトナム民族大虐殺なのである。つまり今日では米軍および韓国軍の検閲官が全強権を発動し、事実が明るみに出るのを妨げているのである。(中略)なぜ在ベトナム韓国軍がかくも攻撃的で残酷であるかという理由は、彼らが、アメリカが与えてくれた援助に対してお返しをするためであり、さらにまたそれは韓国民に対して彼らが、アジアにおいて平定の役割を演ずることができるのだという誇りと確信の感情を与えるためである、と1967年5月、ソウル政府当局は日本人記者に説明した。(D.W.W.コンデ『朝鮮-新しい危機の内幕-』新時代社、1969年)

韓国政府の対応 [編集]ライタイハンが表面化して後も、韓国政府による積極的な援護策は取られていない。しかし韓国の民間団体[1]やキリスト教団体とベトナム政府の支援により、支援施設(職業訓練学校)が設立され[11]、無償での職業訓練と韓国語の教育が行われた。ただし、ライタイハンの支援よりも、ベトナム国民を対象とした活動になっているとの批判がある[4]。

ライタイハン自身が、韓国人である父親に対して実子であることの認知訴訟を起こし、判決により韓国国籍を取得する動きもある[12]。盧武鉉政権は2006年に、写真など客観的に立証できる手段があれば韓国の国籍を付与する法案を検討するとした[13]。

なお、韓国政府は2009年にベトナム戦争の解釈をめぐってベトナム政府と衝突するという事件があった。2009年に韓国の国家報勲庁が国家報勲制度の改定作業を行い、国会に法案改正の趣旨説明文書を提出した。この文書でベトナム戦争参戦者を「世界平和の維持に貢献したベトナム戦争参戦勇士」と表現したことにベトナムが、「我々は被害者。ベトナム戦争の目的が、なぜ世界平和の維持なのか」と猛反発し、予定された李明博大統領のベトナム訪問も拒否する方針を伝えた。韓国側は、柳明桓外交通商相をベトナムに派遣し、外相会談で「世界平和の維持に貢献」の文言を削除することを約束し、李大統領のベトナム訪問を予定通り実現させた。一連の外交交渉で、ベトナム政府は「侵略者は未来志向といった言葉を使いたがり、過去を忘れようとする」と批判した[14]。

韓国マスメディアの反応 [編集]後の韓国大統領である全斗煥、盧泰愚はともにベトナム派兵で活躍した指揮官だった。最大の圧力団体である軍部の存在もあって、韓国ではベトナム戦争を批判的に取り上げることをタブー視する雰囲気が存在した。しかし後年、徐々に国民の意識が変わり、SBSでライタイハンをテーマとしたドキュメンタリー『大韓の涙[15][16]』が放送されたり、ハンギョレのようにベトナムでの韓国の戦争犯罪やライタイハン問題を積極的に取り上げる動きもある。だが、その都度、退役ベトナム参戦兵士団体から強い抗議を受ける事実もある[要出典]。

フィクションでは、2007年にSBS放送で、新ライタイハンがヒロインの連続テレビドラマ『黄金の花嫁』が放送された[17]。

アメラジアン [編集]戦時下のベトナムにおいては、アメリカ軍兵士とベトナム人女性との間にも多くの二世が産まれた。一説には1万5千人ないし2万人、あるいは20万人とも言われる。詳しくはアメラジアンを参照のこと。

統一後のベトナムでは、当初、ライタイハン同様に「敵国の子」とされ、迫害の対象となった。1987年、米国政府は混血児とその家族の移住を受け入れ始めたが、なおベトナムに留まる者も多かった[18]。しかし、その後越中戦争(中越戦争とも)において中国と敵対した関係から西側諸国とベトナムとの関係改善が割合早期に行われたことと、戦中も紳士的な振る舞いをする米軍兵士が少なくなかったことから、ライタイハン程激しくはなく、ドイモイ以降の政府の親米路線により激しい迫害は見られなくなった。

脚注 [編集][ヘルプ]

1.^ a b c d e f g "[조흥국교수의 동남아 들여다보기] <17> 라이따이한 문제" - 조흥국教授の東南アジアのぞき見ること <17> ライタイハン問題 (朝鮮語)、釜山日報、2004年9月18日
2.^ a b c d 名越二荒之助 『日韓2000年の真実』~ベトナムの方がのべる韓国の残虐行為~、2002年、672頁。
3.^ 宮崎真子、1993年、265頁。
4.^ a b コ・ギョンテ "라이따이한을 팔지 말라" - ライタイハンを売るな (朝鮮語)、『ハンギョレ21』第258号(電子版)、1999年5月20日。
5.^ a b 野村進によれば、これら混血児たちの父親の90パーセントは韓国のビジネスマンであり、ベトナム人女性との間に子供をもうけた後に「母子を置き去りにして帰国してしまった」例が多いという。『コリアン世界の旅』 講談社、1996年、173頁。
6.^ 『ハンギョレ21』256号、1999年5月6日。
7.^ a b 亀山旭 『ベトナム戦争 -サイゴン・ソウル・東京-』、岩波書店〈岩波新書〉、1972年、p.127。第五章「ベトナムの韓国軍」では、戦時下の南ベトナムと、韓国軍や韓国人の関わりを知ることができる。『週刊アンポ』第6号(1970年1月26日)の版がベ平連のサイト[1]で読めるが、岩波版と記述に一部差異あり。
8.^ 宮崎真子、1993年、263頁。
9.^ a b 松岡完 『ベトナム戦争 - 誤算と誤解の戦場』、219頁、中央公論新社〈中公新書〉、2001年、ISBN 978-4121015969。
10.^ 『親日派のための弁明』金ワンソプ(草思社)
11.^ 野村進 『コリアン世界の旅』より。第六章「サイゴンに帰ってきた韓国兵たち」で韓国のキリスト教団体が設立した「職業訓練学校」を訪問している。
12.^ "韓国人・ベトナム女性との子ども「ライタイハン」ルーツ探し訴訟相次ぐ" (日本語)、東亜日報、2002年7月26日。
13.^ "‘라이따이한’ 한국국적 부여 검토하겠다" - 「ライタイハン」韓国国籍付与検討する (朝鮮語)、ハンギョレ、2006年4月26日。
14.^ 朝日新聞 2010年1月6日
15.^ 『大韓の涙』 SBS、1992年9月放送。
16.^ 『2007 新ライタイハンの涙』(朝: 2007 新라이따이한의 눈물) SBS、2007年6月3日放送(“한국인이 베트남에 남긴 '그림자' 조명” (朝鮮語). 文化日報 (2007年6月2日). 2009年10月1日閲覧。)。
17.^ 『黄金の花嫁』または『黄金の新婦』(朝: 황금신부〈黄金新婦〉) SBS、2008年放送。キョン・ミリなどが出演(“ドラマ「黄金の花嫁」 家族和解で‘有終の美’飾る” (日本語). 中央日報 (2008年2月4日). 2009年7月6日閲覧。)。
18.^ 読売新聞、1985年4月15日、1995年5月2日、1996年12月3日。
参考文献 [編集]野村進 『コリアン世界の旅』、講談社、1996年、ISBN 978-4062080118。
名越二荒之助 『日韓共鳴二千年史』、670-675頁、明成社、2002年、ISBN 978-4944219117。なお、同著は『日韓2000年の真実 -写真400枚が語る両国民へのメッセージ』(1997年)を改題改訂したもの。
宮崎真子 「『ホワイト・バッジ』にみる韓国社会」、『世界』、岩波書店、1993年8月。
朝日新聞 1992年4月24日及び12月23日、1995年5月2日、1999年1月8日。
ニューズウィーク日本版2000年4月12日号 P.24『私の村は地獄になった』
関連項目 [編集]コピノ
コレコレア
アメラジアン
ベトナム戦争
フォンニィ・フォンニャットの虐殺
ハミの虐殺
ゴダイの虐殺
タイビン村虐殺事件
タイヴィン虐殺
強姦の歴史
戦争犯罪
人権問題
混血
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その他関連サイト
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・ベトナム戦争時における南朝鮮兵の暴虐
http://www.tamanegiya.com/betonamudeno.html

・私の村は地獄になった----ベトナム戦争、もうひとつの戦争犯罪(韓国軍による虐殺)
http://www.asyura.com/0411/war61/msg/748.html

・韓国兵がベトナム人に対して行った蛮行について詳しく教えてください
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111894961

・【ベトナム戦争虐殺写真】残虐な韓国軍
http://unkar.org/r/korea/1185170990

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この記事へのコメント

coffee
2011年12月08日 22:30
韓国は戦争犯罪を猛省せよ。
他国(日本)の悪行を捏造している場合ではない。
Shirasu J
2011年12月09日 08:08
同感です。
Suica割
2011年12月10日 00:20
韓国との関係が冷え込んでも別に構いません。
この事実を国内に広げるべきでしょう。
韓国押しするくらいなら台湾や東南アジア押しするべきです。
どう考えても、韓国に比べ人柄がいいですし、変な起源を言い立てられないなど美点があります。
韓国と組むならベトナムと組むのがましです。
なぜなら、根底は反中で変な言い掛かりをする非常識さを持たない国だからです。
Shirasu J
2011年12月10日 07:08
ベトナムには行ったことありませんが、隣の国の人たちよりはずっとマシだろうと思っております。

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