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zoom RSS マッカーサーが大統領選挙期間中に行った、とんでもないこと

<<   作成日時 : 2015/12/20 17:05   >>

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マッカーサーがGHQ占領時代、1948年に大統領選挙に出馬したことがあったそうであり、マッカーサーとその側近の正体について、以下に分析を試みる。

さて、マッカーサーが出馬した選挙戦において、国内ではマッカーサー批判は検閲対象だったそうである。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC#.E5.A4.A7.E7.B5.B1.E9.A0.98.E9.81.B8

日本では、マッカーサーへの批判記事は検閲されていた為、選挙戦の情勢を正確に伝える事ができなかった。『タイム』誌は「マッカーサーを大統領にという声より、それを望まないと言う声の方が大きい」と既に最初のウィスコンシンの惨敗時に報道していたが、日本ではマッカーサーより有力候補者であったアーサー・ヴァンデンバーグやロバート・タフトの影は急激に薄くなっていったなどと事実と反する報道がなされていた[58]。その為、多くの日本国民が、マッカーサーの共和党大会での惨敗に驚かされる事となった。その光景を見た『ニューヨーク・タイムズ』は「日本人の驚きは多分、一段と大きかった事だろう。・・・日本の新聞は検閲によって、アメリカからくるマッカーサー元帥支持の記事以外は、その発表を禁じられていたからである。その為、マッカーサー元帥には殆ど反対がいないのだという印象が与えられた。」と報じている

知られざる“同胞監視” 〜GHQ・日本人検閲官たちの告白 〜
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3425_all.html

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どうやら、マッカーサーは大統領選で当選するために検閲した可能性が出てきた。

もしそうなら、彼は独裁者ということになる。

さて、戦後のGHQによる統治を、民主化と評価した歴史学者五百旗頭真がいる。

読売新聞に以下のような寄稿記事があった。

・五百旗頭真の読売寄稿記事(平成27年9月24日)
http://nihonshitanbou.blog.fc2.com/blog-entry-14.html

この記事、真面目に読むほどの内容ではない。
その五百旗頭真は政府委員だった時期がある。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%99%BE%E7%B1%8F%E9%A0%AD%E7%9C%9F

政府委員歴
小渕恵三首相時代に官邸に設置された有識者会議「21世紀日本の構想」懇談会の外交分科会(第1分科会)座長
小泉純一郎首相時代に設置された私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員
福田康夫首相の私的懇談会である「外交政策勉強会」の座長
政府の有識者会議である「防衛省改革会議」(2007年(平成19年)12月に設立、2009年(平成21年)10月に解体)委員

―――――――――――――――――

マッカーサーは、大統領選挙に出馬直前、その入念なる事前準備のために、かつての副官ボナー・フェラーズは、いち早く離日し、共和党組織にもぐり込むことに成功したことを知っておかなくてはならない。

―――――――――――――――――

「河合道とボナー・フェラーズ  陛下をお救いなさいまし」(岡本嗣郎)

275頁

天皇制の存続は戦争放棄条項と引き替えだった。不戦・平和主義の宣言が象徴天皇制を可能にした。日本政府がこれを受け入れ、憲法改正草案要綱として正式に発表したのは三月六日だった。
フェラーズが元首相・米内光政を総司令部に予備、ひそかに「東条に戦争の全責任を負わせよ」と指示した日である。

一九四六年七月二十三日、フェラーズは日本を去った。再就職先は、アメリカ海外退役軍人協会だった。翌年十一月、共和党全国委員会副委員長に転身している。


―――――――――――――――――

ボナー・フェラーズの早すぎる離日は、大統領選挙出馬の準備と考えれば納得しやすい。

では、選挙資金は、どうやって得たか?

昭和天皇とマッカーサー会見があり、東京裁判訴追回避向けて、ボナー・フェラーズが知恵を絞ったと「河合道とボナー・フェラーズ  陛下をお救いなさいまし」には再三にわたって書いてある。

私には、ボナー・フェラーズが知恵を絞ったのは、いくつか訴追回避に必要なハードルを示し、その機会に乗じ貰い受けた…………

としか思えないのである。

おそらく大統領選挙の選挙資金は、日本で調達されたのであろう。昭和天皇の訴追回避と引きかえに!(あるいは訴追回避があらかじめ決まっていたのに、それを隠し訴追回避するというポーズを示して……?)

どうやら、ボナー・フェラーズには、マッカーサーがフリーメーソンだった関係で、親日家、フリーメーソン、独裁者マッカーサーの選挙参謀、3つの顔があるようだ。

美談本にふさわしい人物ではないようである。

美談本ファンの方、とりわけ河井道ファンの方、それでも、ボナー・フェラーズと河井道の再会は、それでも(保守ビジネス上の)美談として扱わなければならないのであろうか?


では、マッカーサーの選挙戦がどのようなものであったか、再びWikipediaを参照したい。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC#.E5.A4.A7.E7.B5.B1.E9.A0.98.E9.81.B8

ダグラス・マッカーサー

大統領選

連合国軍最高司令官としての任務期間中、マッカーサー自身は1948年の大統領選挙に出馬する事を望んでいた。しかし、現役軍人は大統領になれないため、早く占領行政を終わらせ凱旋帰国を望んでいた。そのため、1947年からマッカーサーはたびたび「日本の占領統治は非常にうまく行っている」「日本が軍事国家になる心配はない」などと声明を出し、アメリカ本国へ向かって日本への占領を終わらせるようメッセージを送り続けた。

1948年3月9日、マッカーサーは候補に指名されれば大統領選に出馬する旨を声明した。この声明にもっとも過敏に反応したのは日本人であった。町々の商店には「マ元帥を大統領に」という垂れ幕が踊ったり、日本の新聞は、マッカーサーが大統領に選出されることを期待する文章であふれた。そして、4月のウィスコンシン州の予備選挙でマッカーサーは共和党候補として登録された。

マッカーサーを支持している人物には、軍や政府内の右派を中心[55]に、シカゴ・トリビューン社主のロバート・R・マコーミック(英語版)や、やはり新聞社主のウィリアム・ランドルフ・ハーストがいた。『ニューヨーク・タイムズ』紙も彼が有力候補であることを示し、ウィスコンシンでは勝利すると予想していたが、27名の代議士の内でマッカーサーに投票したのはわずか8名と惨敗、結果はどの州でも1位をとることはできなかった。5月10日には陸軍参謀総長になっていたアイゼンハワーが来日したが、マッカーサーと面談した際に「いかなる軍人もアメリカの大統領になろうなどと野心を起こしてはならない」とくぎを刺している。しかしマッカーサーはそのアイゼンハワーのその忠告に警戒の色を浮かべ、受け入れることは無かった[56]。

6月の共和党大会では、マッカーサーを推すハーストが数百万枚のチラシを準備し、系列の新聞『フィラデルフィア・インクワイアラー』の新聞配達員まで動員し選挙運動を行い、マッカーサーの応援演説の為に、日本軍の捕虜収容所から解放された後も体調不調に苦しむジョナサン・ウェインライトも呼ばれたが、第一回投票で1,094票のうち11票しか取れず、第二回で7票、第三回で0票という惨敗を喫し、結局第一回投票で434票を獲得したトーマス・E・デューイが大統領候補に選出された[57]。

日本では、マッカーサーへの批判記事は検閲されていた為、選挙戦の情勢を正確に伝える事ができなかった。『タイム』誌は「マッカーサーを大統領にという声より、それを望まないと言う声の方が大きい」と既に最初のウィスコンシンの惨敗時に報道していたが、日本ではマッカーサーより有力候補者であったアーサー・ヴァンデンバーグやロバート・タフトの影は急激に薄くなっていったなどと事実と反する報道がなされていた[58]。その為、多くの日本国民が、マッカーサーの共和党大会での惨敗に驚かされる事となった。その光景を見た『ニューヨーク・タイムズ』は「日本人の驚きは多分、一段と大きかった事だろう。・・・日本の新聞は検閲によって、アメリカからくるマッカーサー元帥支持の記事以外は、その発表を禁じられていたからである。その為、マッカーサー元帥には殆ど反対がいないのだという印象が与えられた。」と報じている[59]。

大統領選の結果、大統領に選ばれたのは現職のトルーマンであった。マッカーサーとトルーマンは、太平洋戦争当時から占領行政に至るまで、何かと反りが合わなかった。マッカーサーは大統領への道を閉ざされたが、つまりそれは、もはやアメリカの国民や政治家の視線を気にせずに日本の占領政策を施行できることを意味しており、日本の労働争議の弾圧などを推し進めることとなった。なおイギリスやソ連、中華民国などの他の連合国はこの時点において、マッカーサーの主導による日本占領に対して異議を唱えることが少なくなっていた。

―――――――――――――――――

日本においては、マッカーサーが、検閲支配していたことは、誰でも知っている時代となった。

そして、マッカーサーは、こういう一連のことが、平気でできる人間だったことが知れ渡る時代となった。

では、現時点で同じことが発覚すると、どうなるか?
出馬取り消しどころでは済むまい。

彼は、憲法違反行為しつつ、アメリカ大統領選挙に出馬しようとしたのだ!

日本国憲法施行 1947年5月
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95

東京裁判と同様、事後法による訴追が可能なら、今頃は、「人類に対する罪」で●●されていたかもしれない。
なぜなら、彼は、日本人戦犯を、事後法で訴追、処刑したではないか!

憲法違反状態での、GHQ指令の類すべて無効ではないかとする考え方もあるかもしれない?

我々は、大統領選挙に出馬した時期の検閲行為について、どういう罪で裁かれるべきか、アメリカ人に問わなくてはならない。

たとえば、あの保守面した弁護士、ケント・ギルバートが、アメリカ社会に向かって、マッカーサーは裁かれるべき行為をしたと語れば、私は、ケント・ギルバートを認めていいと思っている。
あれだけ、日本派を自認しているのであるから、そう語るべきだ。

GHQスタッフだった、帰化までした親日家ドナルド・キーンは、どういう判断を示すだろうか?
かつてGHQスタッフでありながら、GHQ統治時代の憲法違反、そして検閲状態で出馬したマッカーサー問題を語らない言論人を言論人と言うのであろうか?

真の親日家を自認するなら、アメリカ社会を敵に廻すようなことを言わずしてどうするのか!

そして、検閲の首謀者が大統領選挙に出馬し、上記Wikipedia情報によれば『「マッカーサーを大統領にという声より、それを望まないと言う声の方が大きい」と既に最初のウィスコンシンの惨敗時に報道していたが、日本ではマッカーサーより有力候補者であったアーサー・ヴァンデンバーグやロバート・タフトの影は急激に薄くなっていったなどと事実と反する報道がなされていた』ことを知るにつけ、

現在におけるマスコミの不報道は、この検閲時代のマッカーサーGHQをルーツとするものであることを確信し、本稿を終える。

そして、そのことは、GHQ検閲官出身者が大量にマスコミ業界に就職した傍証となりえるのである。

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風林火山
2015/12/20 21:32

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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
ドナルドキーンやケントギルバートがマッカーサー批判をせずに、中国や韓国の批判をするのを工作員目線で考えるならば、講和条約発効後の過去の蒸し返しを防ぐことにあるでしょう。
過去の蒸し返しを防げば、日本も蒸し返しをしないという冷静な読みによって協力していると考えられます。
ほっておいて、自分が火だるまになるならば、その発端を叩く方が利益になりますからね。
Suica割
2015/12/20 17:36
Suica割さんのコメント、核心を突いていると思います。
再発を防ぐために、過去の流れを知ることは必要と思います。
管理人
2015/12/20 19:11
もう一つ可能性を呈示できるとしたら、ケントギルバートは、日本の事を愛しているが、米国のことも愛している。

そういった場合に、理性的な人間ならどういう行動をするか?

日米の両国の立場を擁護するが、暗部には触れない対応をします。
日本の立場の擁護(慰安婦の嘘への反論)と暗部には触れない対応(マッカーサーについてはだんまり)で現実と合致しています。
Suica割
2015/12/22 19:21
私には、アイゼンハワーの方がまともな軍人に思います。
政治に色気を出すなら軍服を脱いで、一政治家に転身してやれという言外の意味もある忠告だったのでしょう。
戦前の日本を歪めた政治好きな軍人になるつもりはないのだろうなという脅しもあったことでしょう。

マッカーサーは、権力を私物化した潔癖とは言えない人物という理解は必要です。
Suica割
2015/12/22 19:36
<もう一つ可能性を呈示できるとしたら、ケントギルバートは、日本の事を愛しているが、米国のことも愛している。
たぶん、そうでしょう。

<マッカーサーは、権力を私物化した潔癖とは言えない人物という理解は必要です。
そういうことを説明している歴史書は、皆無のようです。
管理人
2015/12/23 13:32

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