美しい国への旅立ち

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zoom RSS 論争をいかに制するか 安倍批判する者たちへの反撃

<<   作成日時 : 2015/03/04 18:11   >>

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安倍首相の戦後70年談話について、日本人になりすました勢力が、動き出したようなので、その対策として、出稿した。

実は、明確な定義のないまま使われている言葉がいくつかある。

例をあげるとすれば、それは、

・愛国心
・植民地支配
・侵略
・ファシズム
・ヘイトスピーチ

ではないかと思う。

これらは、使っている本人(左翼の政治家、活動家)がその言葉の意味を正確に定義せず、レッテル貼り目的でわれているようである。安倍首相が準備する、戦後70年談話については、これら左翼の政治家、活動家たちが、これらの言葉を使って批判することが予想され、論争となった場合、彼らが使う「言葉の未定義状態」を根拠に、彼らの主張を論破する必要があると私は考えている。

本稿が、公開の場にて、論争を制する際の参考となることを私は願っている。

以下、これらの政治用語等に係わる、拙ブログの見解。

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○愛国心

保守層がよく使う言葉である。私も好きな言葉ではある。保守層の方なら、愛国心に係わる本は何冊かお持ちと思うが、愛国心という言葉の意味について、きちんと定義して書かれたものが、まず見当たらない。それらの本には、一様に、愛国心とは何か、愛国心を持てと、書かれているにも関わらず、愛国心の定義をせず、単なる事例紹介、道徳本に終わっているものばかりである。
大多数が、哲学的視点に立った、定義と考察が欠けているようなのである。
それらの本の著者自身、愛国心が何かを具体的に説明できないもどかしさを感じつつ、愛国心は国を愛することだ、愛国心は愛国心なのだ、という、岩波の広辞苑程度の工夫のない国語辞典で頻発する、(愛国心を、国を愛することだとする)漢字を訓読みに置き換える手法で、読者に訴えようとしているように私には映る。
それゆえ、私は、それらの本の著者の表現センスについて、いささか懐疑的になるのだ。言葉として定義せず、美談的事例をただ寄せ集めただけで、愛国心を持てと鼓舞することは、著者として消化不良のものを読者に掴ませるだけではないのかと、指摘したくなるのだ。

ただ、「山鹿素行 中朝事実を読む」(荒井桂)のあとがきに、愛国心についての定義、解説を試みた件があり、この解説なら、愛国心の定義となりうると感じている。

愛国心を「政治思想としてのNationalismを抱く人が持ち得る、国家に対する個人単位の思考あるいは意思」と仮に定義した前提でお読みいただきたい。

―――――――――――――――――

「山鹿素行 中朝事実を読む」(荒井桂による現代訳)

おわりに替えて

NationalismをNationalismたらしめるのに不可欠の要素が三つあると言われています。
一つはNational tradition、国民的、民族的伝統です。これは過去に結びつきます。国の歴史を学び伝統に誇りと自信を持ち愛国心を培うのは、まさにNational traditionです。
二つ目はNational interests、これは国民的利益、国益と訳され、現在に結びつきます。
そして、将来に結びつく三つ目の要素がNational mission、国民的、民族的使命感、つまりその国、その民族が未来に向けて国際社会で果たすべき役割を意味しています。
いま述べたこれら三つの要素によってNationalismは形成されます。国民や民族の意見が一致した時、これをNational consensusといいます。わが国はこのconsensusが得られていないために内外ともに大変な状況に直面しているのです。

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著者は、愛国心の定義であるとことわっていないが、私は、愛国心を定義した文章であると評価している。
「山鹿素行 中朝事実を読む」は、乃木希典大将が殉死の2日前に後の昭和天皇に涙ながらに献上されたとされる「中朝事実」の現代訳の本である。この本が出版されるまで、山鹿素行のこの本は漢文を読みこなせる人しか、すなわち戦前の書を読める人しか読んでいなかった、完全に埋もれた本だったのである。従って、この本が刊行されたことは、画期的なことなのである!

ここで、戦前、戦中に国民各層に喧伝された、日本精神という言葉の意味について述べたい。愛国心と同義であることは認めるものの、愛国心の日本版、すなわち、一般的な愛国心に神道的要素を加味したものが、日本精神という言葉の意味になるような気がする。
日本精神に関心ある方は、安岡正篤の「日本精神の研究」という本を読まれんことをお薦めしたい。


○植民地支配

一般論で言うところの、植民地支配について、その支配・統治形態として、学術的視点から解説した本を私はまだ読んだことがない。

植民地支配については、欧米列強が戦前に強いた、欧米列強によるアジア・アフリカで行われた原住民に対する差別的かつ奴隷支配形態を意味することが一般的である。一方、民主党、社民党、共産党などの政治家たちは、日本の台湾統治、朝鮮統治まで、欧米列強による植民地支配と同義の意味として使っているようだが、そもそも統治形態の違いを理解しておらず、区別して使っていない点において、私は勉強不足であると思う。
この点については、2冊の歴史書が、日本政府による朝鮮統治と欧米列強による支配を、当時の時代感覚で比較し、日本による朝鮮半島統治を良心的かつ国際法的視点で見て理に適っているという趣旨の説明をしている。

その2冊の本とは、
・アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミラーズ、伊藤 延司
・「日本の朝鮮統治」を検証する 1910-1945  ジョージ・アキタ、ブライアン・パーマー

なお、欧米列強による、悲惨な植民地支配実態について書かれた、戦前・戦中の日本語の文献は、敗戦後、GHQによって焚書され、西尾幹二の本「GHQ焚書図書開封」シリーズ等によって、発掘され、実態が暴かれつつある。清水馨八郎の「侵略の世界史」もコンパクトにまとまった本であると思う。 
要するに、日本の植民地支配を悪だと語る、民主党、社民党、共産党などの政治家は、こうした歴史書を読まずに育ち、歴史の真実を知らない可能性大だということだ。

民主党岡田代表は、ここで紹介した本を読んでいれば、以下の発言は恥ずかしくてできないはずである。

民主・岡田「『植民地支配』や『侵略』などの言葉は70年談話にも必ず含まれるべきだ」
http://gogotorimaru.blog19.fc2.com/blog-entry-10094.html


○侵略

侵略という言葉には、国語辞典的意味と国際法的意味があるようだ。

池田信夫が、うまい解説を試みているので、それをお読みいただきたい。

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http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51920310.html

丸山眞男の「歴史修正主義」

丸山眞男話文集 続 3
また丸山で申し訳ないが、次の次の次の本のメモ。本書は彼の最晩年の座談会を収録しているが、かつては「自粛」していた歴史観を率直に語っていておもしろい。その内容は、ほとんど『WiLL』に掲載されてもおかしくない「歴史修正主義」である。彼は日本が大陸を「侵略」したという歴史観を否定する。

「侵略」という観念は、僕に言わせれば、第一次大戦後できた観念であって、その当時の法的概念でいえば特殊権益ですよ。他の国家に特殊権益を持ち、それが条約上認められた場合には、その特殊権益を侵すものがあったら軍隊で排除するのは、合法的なの。今パナマでアメリカがやっているのはそれなんですよ(p.276)。
侵略という概念ができたのは1928年の不戦条約であり、その当時ヨーロッパ諸国のもっていた特殊権益を侵害する行為が侵略と定義された。したがってイギリスがインドを植民地にしたのは侵略ではないが、日本が1931年に満州国を建設したのは侵略とされた。

しかしリットン調査団は、日本の満州占領を既成事実として認め、関東軍の撤兵は求めなかった。これは今の核拡散防止条約と同じで、植民地は既得権として認め、報復の応酬を防ぐのが国際連盟の役割だった。当時、世界最大の植民地国家だったイギリスも、こういう「現実主義」を支援した。

さらに丸山は日米開戦について、いったん国際連盟が認めた満蒙の権益を、1941年になってハル・ノートで否定したアメリカにも責任があるという。
リットン報告書でさえ日本の特殊権益は認めている。ただ自衛権の範囲を逸脱していると。日本は怒って国際連盟を脱退しちゃう。脱退することないんですよ。自衛権は認めているんだから。[…]

ところがアメリカは権益をもっていないから、[1922年の]九ヶ国条約を振り回すわけですよ。九ヶ国条約は国際連盟以後だから、権益否定の論理に立っているでしょ。中国から満州を含めて全面的に撤兵。それをあの段階[1941年]で言い出すわけです。これはワイズではないですね。[…]和平派の東郷茂徳でさえサジを投げたのは、ハル・ノートなんです。(p.278〜9)
三国同盟があったので、ハル・ノートがなくても日本は対米戦争をやっただろうと丸山は認めるが、それでも「アメリカが100パーセント正しかったと言えるかというと、アメリカはワイズではなかったですね」という。当時の陸軍の中でも田中新一などの強硬派は圧倒的多数ではなかったので、アメリカが「満州までの撤退」を求めていれば、日米開戦はなかったかもしれない。

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欧米列強がやっても侵略とは言わず、日本だけが侵略と非難される、その時代の視点での根拠を解き明かしているように思う。

日本が始めた大東亜戦争を侵略戦争だと主張する人たちは、池田信夫の説を知らないか、知っていてもわざとに触れない前提で語っているのかもしれない。

ただし、丸山眞男という思想家、言葉を曖昧なままで一人歩きさせて使う、悪癖があるようだ。要するに、きちんと、言葉の定義もしないで、観念的発想と議論だけで、読者を攪乱し(洗脳?)、権威らしく振る舞ったことを忘れてはならない。

―――――――――――――――――

丸山眞男
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9E%E7%94%B7

批判
丸山は戦後日本に大きな影響を与えた人物ということもあり、様々な立場から批判がなされている。竹内洋は評伝で、丸山自身は批判に余り取り合わず「黙殺」したことで、結果的に丸山の権威が認められたと述べる[20]。

プロレタリア革命を主張するマルクス主義者からは、西洋近代のブルジョワ市民社会を理想とする「近代主義者」「市民派」であると長年批判された。
吉本隆明は丸山を、上空飛行的思考として批判した[21]。吉本の丸山批判は当時広範囲にわたって影響を及ぼした。 
東大紛争では、全共闘の学生から、東大教授という立場に寄りかかった権威主義者、大衆から遊離した貴族主義者であるとして批判された[22]。
丸山の議論は西欧にあって日本にないものを指摘する「欠如理論」である[23]という批判もある。
日本ファシズム論の定義が曖昧であるという批判があり、谷沢永一も以下のように批判した。日本ファシズムの概念規定が『増補版 現代政治の思想と行動』のどこにもでてこないこと。同書において、日本国民を二分し、第一類型には工場主や自作農、学校教員など、第二類型には都市における文化人やジャーナリスト、学生層などと規定したこと。日本社会の中堅層である前者に対し、日本にファシズム運動があったか否かの検証もないままファシズムの社会的基盤であると断定し、かつ疑似インテリゲンチャもしくは亜インテリゲンチャと呼んで軽蔑していること。そして以上の理由から丸山眞男を差別意識の権化とした[24]。
1990年代後半以降には、姜尚中、米谷匡史あるいは酒井直樹等のようなポストコロニアリズムの立場から、「国民主義」や、ナショナリストとしての一面を批判されている[25]。しかし、このような見方に対しては、斎藤純一、葛西弘隆等のような思想史研究の立場から、確かに丸山は1950年代頃までの論考で明治期の日本国のナショナリズムを肯定的に評価する面があったにせよ、それ以降においては多元主義あるいは市民社会をより重視するようになっていたとする指摘がある[26]。
日本政治思想史研究に対しては、近世思想史の解釈が恣意的[27]との批判がある。また、経書学・日本思想史の立場から、漢籍読解の稚拙さを指摘する論考もある。
丸山のゼミナール出身である橋川文三は、師を継承しながらも、論文「昭和超国家主義の諸相」にて、丸山に批判を加えた[28]。
梅原猛は、思想的伝統が日本には形成されなかったと定義する丸山に対し、『法華経』などの古典などを読まず、また、日本の美術、文学、風俗を調査せずにその様な断定を行うのは許しがたいと批判した[29]。
水谷三公は、学者としての丸山を尊敬しつつも、その政治的言説がアメリカを批判して北朝鮮やソ連に傾くものだったとし、「外交オンチ」「政治的蓄膿症」と言われても仕方がないと評した[30]。
大塚久雄が、梶山力と共訳だったマックス・ヴェーバー 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を、のちに大塚の単独訳にしたことを、ヴェーバー研究者の安藤英治が批判し、梶山の単独訳版を改訂刊行しようとした。その際に丸山が圧力をかけてきたと、同じ研究者の羽入辰郎は批判している[31]。
志村五郎は、丸山の漢学や音楽に関する会話や著作を「一知半解」であることを記述をあげて指摘するほか、特に朝鮮戦争に関して丸山にとって都合が悪い史実(北朝鮮側から開戦)を40年以上にわたり「不可知論」で誤魔化し続けた事実を指摘し、そこに丸山のジャーナリスト的な資質の根本的な限界を見出した[32]。

―――――――――――――――――

参考文献としては、「こうして日本は侵略国にされた 東京裁判検証16のポイント」(富士信夫)がある。


○ファシズム

ファシズムとは、日本語の中では、例外的に日本語訳が存在しない言葉のようである。

ファシズム入門
http://www.warewaredan.com/f-nyumon2.html

つまり、この言葉が使われた場所、用途は、少なくとも日本ではないことを示している。

にもかかわらず、そういう背景を知らずに使っているケースがある。

【平和運動家】あ べ し ねでお馴染みの池田香代子さん「そもそもファシズムってよく分からない」→ツイッター民「よく分からないものを批判してきたの?」→池田さん即ブロック
http://hosyusokuhou.jp/archives/42788848.html

侵略という言葉と同様、その言葉が頻繁に使われた、その時代の政治社会的意図を探るところから始まるべきと私は思う。
要するに、ファシズムという言葉の意味、政治統治実態がどうであれ、敵国を批判し、悪の帝国だとレッテル貼りするために使われた、政治宣伝用語ではないかと予想するのである。

政治学の学術用語としてのもともとの経緯、対立国を批判するための政治宣伝あるいは報道用語としての使用の経緯を調べれば、答えが出るような気がする。しかるべき政治学の本には、たぶん、答が書いてあると思う。もし、定義がない政治学の本だった場合、その学者は、「あべしね」と同程度だということになるだろう。


○ヘイトスピーチ

拙ブログにて、法務省が、未定義のままで予算支出した問題を指摘済み。

法務省ヘイトスピーチ啓発活動 根拠・定義が曖昧なままでの予算支出は妥当?その意図はどこにあるのか?
http://nihonnococoro.at.webry.info/201501/article_13.html

正直に白状するが、かくいう私も、何を以てヘイトスピーチと定義するのか、悪戦苦闘中である。いろいろ調べ、文章化を試みているが、今一つフィットするものが見当たらない。まだ、日本語訳として確立したものはない、ような気がする。
そう考えると、ヘイトスピーチを問題視する人たちは、その言葉の意味をわからず、政治的意図を以てただただヘイトスピーチだとわめく不逞の輩であるという推測が可能となる。


最後に、議論のテクニックを一つ紹介させていただく。
言葉が未定義なまま、論争となった場合、論争が盛り上がった時点で、相手に対し、○○という言葉の意味、定義はどうなっているのか?と質問することである。

たぶん、「あべしね」事案で、ネット界で有名人になってしまった方と似たような反応となるような気がする。

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