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zoom RSS 日銀改革=日銀人材改革であるべきだ

<<   作成日時 : 2015/02/27 06:46   >>

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リフレ派を中心に日銀改革論は、根強い。私には、リフレ派が主張する日銀改革論が具体的に何を意味するのか、今一つ理解できない。私は、それが組織論的には、効果がないように思っている。

むしろ、人材育成面に的を絞った方が、長期的に見た場合、効果があるのではないかと思っているところである。

一応、前稿では、本田悦郎氏含むリフレ派と白川総裁の職歴の比較を試みた。

株価高値更新 アベノミクス提唱者たちの意外な素性について
http://nihonnococoro.at.webry.info/201502/article_23.html

拙ブログは、大蔵省的感覚で見れば、本田悦郎氏が上級公務員のジョブローテーション、前白川総裁が日銀という(責任をとる必要がない、ぬるま湯の)組織の中だけのジョブローテーションの階段を登り詰めた、中級公務員的なジョブローテーションであると述べた。

そこで、日銀人材改革の視点に立って、日銀生え抜き職員のジョブローテーションのあり方等について、本稿で述べたい。

まず、言えることは、日銀の採用試験に遡ることになる。アイデアとして書かせていただく。

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日銀人材改革の骨子(案)

@日銀職員採用試験は、国家公務員試験と一体化させる。(日銀単独採用での縁故採用の余地を消す?)

A入庁3年目に、一般企業の事務・営業部門に2年間、丁稚奉公目的で出向させる(世間のビジネスマン並の感覚を体で覚えさせる、出向先はパナソニック、シャープ、ソニー、富士重工、トヨタ、日立、東芝、コマツ、三菱商事、日本郵船、武田薬品、日清食品、三井化学、太平洋セメント、新日鉄住金など)

B調査部門の係長クラスに、都銀、証券から出向者を受け入れる(若手職員時代に、経済実態と経済指標とのかい離、企業の投資マインドなどを理解させるとともに、数値解析一辺倒とならない様、民間出向者から指導させる)

Cいくつかの部門の課長ポストに、財務省、金融庁、総務省などから出向者を受け入れる(政府がとっている経済政策と、日銀がとっている施策とのかい離がないかどうか、理解しやすい職場環境をつくる)

D課長クラスの時代に、政府系金融機関、都銀、地銀、証券、自治体などに出向させる(過去20年間、日銀がやってきたことがどれだけ世の中の役にたっていなかったかを自覚させる。出向者に日銀において適用可能な効率化手法を体得させる)

E部長クラス、局長クラスとなった人の中で、世間から評価される職員については、講演活動だけでなく、著作活動も行えるようにする。(著作活動を通じて社会的に評価を得た職員が、将来の日銀の理事、副総裁候補として扱う(講演活動、著作活動が、幹部の人事評価項目となるということ)

F基本的に、日銀生え抜きを日銀総裁にしない(前白川総裁は、実態経済と指標とのかい離の認識がなく、視野の広さ、多面的に物事を眺める柔軟さ、人の話をよく聞く態度など、国家の指導層として必要な資質、見識が備わっていない)

―――――――――――――――――

以上である。

私は、日銀改革は、日銀人材改革であるべきだと述べている。
数値解析に絶対的価値を見出し、下々の声に耳を傾けない、前白川総裁のような発想を日銀から払拭するためである。人々の生の声などどうでも良く、数値解析が絶対であるなら、経済学界でやればいい。数値解析の価値はその程度のものだ。

その人材改革のゴールは、高橋是清のような人材を日銀組織が輩出しえるかどうか、にある。

拙ブログの提案は、日銀職員に、丁稚奉公出向や民間との人材交流等を通じて、社会経験を積ませることが目的であり、恥をかかせ、いたぶることを意図はしていない。

ここで、名宰相、高橋是清に係わるエピソードを紹介したい。

―――――――――――――――――

高橋是清

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E6%98%AF%E6%B8%85

経歴

1854年9月19日(嘉永7年閏7月27日)幕府御用絵師・川村庄右衛門(47歳)ときん(16歳)の子として、江戸芝中門前町(現在の東京都港区芝大門)に生まれた。きんの父は芝白金で代々魚屋を営んでいる三治郎という人で、家は豊かであったが、妻と離別していたので、きんは中門前町のおばのところへ預けられたこともあり、行儀見習いのために川村家へ奉公していた 。庄右衛門の妻は庄右衛門の手が付き身重になったきんに同情し、こっそり中門前町のおばの家へ帰して静養させ、ときどき見舞って世話をしたという[1] 。 是清は生後まもなく仙台藩の足軽高橋覚治の養子になる。

その後、横浜のアメリカ人医師ヘボンの私塾であるヘボン塾(現・明治学院大学)にて学び、1867年(慶応3年)に藩命により、勝海舟の息子・小鹿と海外へ留学した。然し、横浜に滞在していたアメリカ人の貿易商、ユージン・ヴァン・リード[2]によって学費や渡航費を着服され、更にホームステイ先である彼の両親に騙され[3]年季奉公[4]の契約書にサインし、オークランドのブラウン家に売られる。牧童や葡萄園で奴隷同然の生活を強いられ[5]、幾つかの家を転々とわたり、時には抵抗してストライキを試みるなど苦労を重ねる。この間、英語の会話と読み書き能力を習得する。

1868年(明治元年)、帰国する。帰国後の1873年(明治6年)、サンフランシスコで知遇を得た森有礼に薦められて文部省に入省し、十等出仕となる。英語の教師もこなし、大学予備門で教える傍ら当時の進学予備校の数校で教壇に立ち、そのうち廃校寸前にあった共立学校(現・開成高校)の初代校長をも一時務めた。教え子には俳人の正岡子規やバルチック艦隊を撃滅した海軍中将・秋山真之がいる。その間、文部省、農商務省(現・経済産業省及び農林水産省)の官僚としても活躍、1884年(明治17年)には農商務省の外局として設置された特許局の初代局長に就任し、日本の特許制度を整えた。1889年(明治22年)、官僚としてのキャリアを中断して赴いたペルーで銀鉱事業を行うが、すでに廃坑の為失敗。1892年(明治25年)、帰国した後に川田小一郎に声をかけられ、日本銀行に入行[3]。

日露戦争 (1904 - 1905) が発生した際には日銀副総裁として、同行秘書役深井英五を伴い、戦費調達の為に戦時外債の公募で同盟国の英国に向かった。投資家には兵力差による日本敗北予想、日本政府の支払い能力、同盟国英国が建前として局外中立の立場で公債引受での軍費提供が中立違反となる懸念があった。それに対し、高橋は、
この戦争は自衛の為やむを得ず始めたものであり日本は万世一系の皇室の下で一致団結し、最後の一人まで闘い抜く所存である。
支払い能力は関税収入である。
中立問題については米国の南北戦争中に中立国が公債を引き受けた事例がある。

と反論。関税担保において英国人を派遣して税関管理する案に対しては「日本国は過去に外債・内国債で一度も利払いを遅延したことがない」と拒絶した。交渉の結果、ジェイコブ・シフやロンドン留学時代の人脈が外債を引き受け、公債募集は成功し、戦費調達が出来た。1905年(明治38年)、貴族院議員に勅選。1911年(明治44年)に日銀総裁となる[3]。


八度目の大蔵大臣(1935年〜1936年〔昭和10〜11年〕)
1913年(大正2年)、第1次山本内閣の大蔵大臣に就任、この時立憲政友会に入党する。政友会の原敬が組閣した際にも大蔵大臣となり、原が暗殺された直後、財政政策の手腕を評価され第20代内閣総理大臣に就任、同時に立憲政友会の第4代総裁となった。然し高橋自身思わぬ総裁就任だった為、大黒柱の原を失い混乱する政友会を立て直すことはできず、閣内不統一の結果内閣は半年で瓦解している。

政友会はその後も迷走し、清浦奎吾の超然内閣が出現した際には支持・不支持を巡って大分裂、脱党した床次竹二郎らは政友本党を結成し清浦の支持に回った。これに対し高橋率いる政友会は、憲政会及び革新倶楽部と護憲三派を結成し、第二次護憲運動を起こした。これにより清浦内閣打倒に成功する。新たに総理大臣となった憲政会総裁の加藤高明は、高橋を農商務相に任じた。なお、この時の総選挙で高橋は「隠居」して子爵の爵位を子息に譲り衆議院議員に立候補、当選している(華族には衆議院議員の被選挙権がなかったため、また政友会は清浦内閣を「貴族院内閣」・「特権内閣」・「殿様内閣」などと非難するため、党首が華族では都合が悪かった。ただし爵位は生前贈与であり特権を放棄した訳ではなかった)。この第15回衆議院議員総選挙に高橋は亡き前総裁の原敬の選挙区である盛岡から出馬したが、与党政友本党の対立候補に苦戦して、僅か49票差で当選した[6]。

高橋と齋藤内府(右)
ともに滞米経験がある高橋と斎藤は、個人的に親しい友人でもあった。画像は1936年2月20日、斎藤が蔵相官邸に高橋を訪れた際に撮影されたもの。この六日後に両者は悲劇的な最期をむかえる(→ 詳細は「二・二六事件」を参照)。
その後、高橋は政友会総裁を田中義一に譲り政界を引退するが、1927年(昭和2年)に昭和金融恐慌が発生し、瓦解した第1次若槻内閣に代わって組閣した田中に請われ自身3度目の蔵相に就任した。高橋は日銀総裁となった井上準之助と協力し、支払猶予措置(モラトリアム)を行うと共に、片面だけ印刷した急造の200円札を大量に発行して銀行の店頭に積み上げて見せて、預金者を安心させて金融恐慌を沈静化させた。

1931年(昭和6年)、政友会総裁・犬養毅が組閣した際も、犬養に請われ4度目の蔵相に就任し、金輸出再禁止(12月13日)・日銀引き受けによる政府支出(軍事予算)の増額等で、世界恐慌により混乱する日本経済をデフレから世界最速で脱出させた(リフレーション政策)。五・一五事件で犬養が暗殺された際に総理大臣を臨時兼任している。続いて親友である斎藤実が組閣した際も留任(5度目)。また1934年(昭和9年)に、共立学校での教え子にあたる岡田啓介首班の内閣にて6度目の大蔵大臣に就任[3]。当時、リフレーション政策はほぼ所期の目的を達していたが、これに伴い高率のインフレーションの発生が予見されたため、これを抑えるべく(出口戦略参照)軍事予算の縮小を図ったところ軍部の恨みを買い、二・二六事件において、赤坂の自宅二階で反乱軍の青年将校らに胸を6発撃たれ、暗殺された。享年82(満81歳没)。葬儀は陸軍の統制によって、1か月後に築地本願寺で営まれた[3]。

逸話

そのふくよかな容貌から「ダルマ蔵相」、「ダルマさん」と呼ばれて親しまれた[3]。国会での三木武吉によるヤジは特に有名。
在任中は主に積極財政政策をとり、井上準之助が行った緊縮財政としばしば対比される。また、公債発行による財政政策、乗数効果をプリミティブな形とはいえケインズに先だって説き、実践した。
現在一般化している一般歳入の補填を目的とした国債発行を日本で初めて実行したことでも知られており、それを含め現在の日本の金融政策にも大きな影響を及ぼしている。
高橋が岡田内閣に入閣した際に、既に同内閣に対して野党宣言をしていた立憲政友会総裁の鈴木喜三郎は同内閣に入閣した政友会党員4名全員を除名しようとした。だが、元総裁の高橋を除名した際の党内に与える動揺を恐れて、高橋を「離別」すると宣言(あとの3名は除名処分)してお茶を濁した。

日本銀行券B50円券歴代日銀総裁のなかで唯一その肖像が日本銀行券に使用された人物。1951年(昭和26年)から1958年(昭和33年)にかけて発行された五十円券がそれである。
高橋是清は、赤坂御所に対面する青山通り沿いに、敷地約2,000坪の広大な屋敷を構えていた[7]。邸宅跡は現在、高橋是清翁記念公園として整備されており、建物の一部は江戸東京たてもの園(東京都小金井市)に移築されて公開されている[3][8]。
酒好きで有名。国会本会議場の席でも堂々と茶碗酒をすすっていたが、誰も咎める者はなかった。

―――――――――――――――――

私は、前白川総裁との比較で、日銀という組織が、高橋是清のような、歴史に名を遺す人材を輩出できるかどうか、それが日銀改革のポイントとなるだろうと思っている。
日銀の総裁、副総裁が、かつての高橋是清のように、人間味溢れ、人びとから親しまれ、尊敬されるような人材でなければならないと考えている。

このままだと、前白川総裁は、悪しき事例として名を遺しそうな感じである。
日銀の中には、拙ブログ提案の人材改革に反対する方が多数おられるかもしれない。その場合、そんなに批判されたくないなら、そんなに批判にさらされたくないなら、日銀職員全員が、中級公務員の位置づけでいいように思う。

日銀職員給与は、平均給与ベースで国家公務員をはるかに上回るベースでの給与体系であり、NHK職員と同程度かそれ以上でであろうことは知っているので、これを半減させるのみである。

中級公務員程度の視野と実力と判断しか、なかったのであるから、中級公務員ベースの給与とするのみである。

ポイントは、日銀職員全員が、丁稚奉公出向を受け入れるか、否かにある!

現状の人材程度なら、将来の日銀総裁は、本田悦郎氏が最適任者のように思う。



参考
―――――――――――――――――

・日銀が円高対策、震災復興、景気回復に非協力なら、日銀リストラ法案を請願するしかないではないか!
http://nihonnococoro.at.webry.info/201108/article_1.html

・愛国者は何にもしない日本銀行に対する、組織介入、人事介入、法的制裁を考えるときがきた!
http://nihonnococoro.at.webry.info/201008/article_12.html

・デフレを容認し続ける日銀総裁および審議委員解任の意思表示を!
http://nihonnococoro.at.webry.info/201204/article_7.html

・今国会で超党派で成立させるべき「日銀法改正案」の概要
http://nihonnococoro.at.webry.info/201204/article_8.html

・日銀総裁をやめさせることが最大の景気対策?(国会は日銀総裁などの辞任要求すべき)
http://nihonnococoro.at.webry.info/201204/article_17.html

・どうやら日銀総裁解任は序の口、日銀の完全敗北が視野に!?(橋下徹が日銀改革?に乗り出した場合の影響)
http://nihonnococoro.at.webry.info/201204/article_19.html

・国会同意人事に際して日銀総裁・副総裁・審議委員候補者に対し論文提出とプレゼンを義務づけるべきだ
http://nihonnococoro.at.webry.info/201205/article_1.html

・国民の総意で日銀総裁解任しよう 自民党本部に陳情書提出しよう
http://nihonnococoro.at.webry.info/201211/article_26.html

・日本の疫病神 日銀総裁・副総裁に第2の職場を提供してはならない 日銀格下げを要望!
http://nihonnococoro.at.webry.info/201302/article_7.html

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