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zoom RSS 日本は歴史的に軍事大国だった!

<<   作成日時 : 2013/03/30 07:22   >>

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今回は、憲法改正=軍事大国化を懸念されている、平和主義者向けの原稿である。

歴史書をきちんと読まれている方ならお気づきのことと思うが、いくつかの歴史書を読み、一連の史実を組み合わせてみると,日本は歴史的に軍事大国だったと思うようになった。

以下はその内訳である。

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三国史記によれば、西暦100〜500年頃にかけて、渡海して新羅侵攻が30回弱繰り返されたとある。(戦争目的は不明、百済からの要請?)

『三国史記』新羅本紀、倭侵攻記事の信頼性
http://kodai.sakura.ne.jp/nihonnkennkokusi/index.html

この頻度から察するに、軍事目的のほかに、それなりの財力と軍事力がなければ実現しないことは明らかである。

そして、この史実は、この時期から日本は海洋国家であったことを示している。

次に、百済滅亡後、白村江の戦いにて、唐・新羅の連合軍に敗れ、文字通り「世界の孤児」となった後は、岡田英弘の名著「日本史の誕生」によれば、天智天皇時代に日本建国がなされたとの指摘がある。

また、同時に、天智天皇は、唐・新羅の侵攻に備えて、国土防衛に務めたとある。


―――――――――――――――――――――

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9D%91%E6%B1%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
防衛体制

天智天皇は白村江の敗戦のあと、唐・新羅による報復と侵攻を怖れて北部九州の大宰府の水城(みずき)や瀬戸内海を主とする西日本各地に古代山城などの防衛砦を築いた。また北部九州沿岸には、防人(さきもり)を配備した。さらに667年には、天智天皇は都を難波から内陸の近江京へ移して、防衛網を完成させた。

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次は、元寇の時代。
この戦いでの鎌倉武士たちの奮戦ぶりはは誰でも知っていると思うが、宋が当面の和平策を選択して元に滅ぼされたという記述が以下にある。

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国柄探訪:元寇 〜鎌倉武士たちの「一所懸命」
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h13/jog207.html

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第二次元寇の規模(十数万)から察するに、これを撃退した史実などから、迎え撃った鎌倉幕府軍がそれに対抗しうる規模の動員数をもって対処したと考えるべきであり、その点において、軍事大国と言えるはずだ。

また、戦国時代の日本全体の鉄砲保有数だが、ノエル・ペリンの「鉄砲を捨てた日本人」という本によれば、この時代既に、日本は鉄砲の大量生産に成功した工業国であり、また世界トップクラスの鉄砲を保有し、戦争で使用していたという記述がある。

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http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/105/

「…アラビア人、インド人、中国人いずれも鉄砲の使用では日本人よりずっと先んじたのであるが、ひとり日本人だけが鉄砲の大量生産に成功した。そればかりか、みごと自家薬籠中の武器としたのである。」(p35)

「…今日もそうだが、日本は当時も優れた工業国であった。…日本で、もっとも大量に製造されていた物がなにかというと、それは武器であって、二百年ぐらいは世界有数の武器輸出国であった。日本製の武器は東アジア一帯で使われていた。」(p38-39)

「少なくとも鉄砲の絶対数では、十六世紀末の日本は、まちがいなく世界のどの国よりも大量にもっていた。」(p63)

「たとえばイギリス軍全体をとってみても、その鉄砲所有数は、日本のトップの大名六名のうちどの大名の軍隊と比べても少なかった。…1569年イギリス枢密院がフランス侵攻の際に動員できるイギリス全体の兵隊と武器の数を決定すべく総点検を行った時のことだ、…フランス大使はスパイを通じてその情報をつかみ、「機密にされている兵隊の集計値」は二万四千、そのうち約六千の者が銃を所持している、とパリに報告した。」(p160-161)
「1584年、…戦国大名の竜造寺隆信が島原方面で有馬晴信・島津家久と対戦したが、率いていた軍勢は二万五千、そのうち九千が鉄砲隊であった。…」(p162)

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そして、明治維新を経て、富国強兵に務め、日清・日露と勝ち進み、日露戦争は有色人種が白人国家に勝利するだけでなく、日本会海戦は軍事史に名を残す海戦として記録されるなど、それまでの歴史をぬりかえるような歴史的出来事として今もアジア・アフリカの人々が拍手喝采し続けていることは周知の事実である。

日本海海戦の完全勝利は、海戦史に残る偉業であるとの指摘が、以下にある。戦法の解説についてのわかりやすい解説が読める。

世界海戦史上にのこる大勝利は、明治日本の近代化努力の到達点だった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h14/jog236.html


日露戦争を経て、日本は、アジア・アフリカの中で唯一、欧米列強と肩を並べる大国としてみなされるようになった。

しかし、日本の経済発展、海外進出を好ましいと思わない勢力の陰謀などにより、日本は戦争せざるを得ない状態に追い込まれ、真珠湾攻撃が開始された。

真珠湾攻撃
http://ww31.tiki.ne.jp/~isao-o/battleplane-1sinjyuwan.htm

なお、真珠湾攻撃は、空母主体とする世界最初の軍事戦である。

真珠湾攻撃に続き、航空機戦力を主体とする戦法により、イギリスの最新鋭の大型戦艦を沈めた史実もある。

マレー沖海戦
http://ww31.tiki.ne.jp/~isao-o/battleplane-2marry.htm

また、太平洋海域では、破れはしたが空母を活用した海戦でアメリカ軍と互角に渡り合った史実は他国に例をみない。



一言で言うと、歴史的にみてどの時代も軍事大国だったのだ。


一方、外交史的には、
白村江の時代以降、明治維新まで「日本は鎖国を国是としていた」と歴史家、岡田英弘氏はその著書「歴史とはなにか」にて指摘がある。

http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/kak3/1303072.htm

つまり、日本という国は、鎖国的かつ軍事大国だったのだ。

従って、大東亜戦争での敗戦という史実はあったにせよ、北朝鮮が核武装化を表明し、大陸国家だった中共が軍事大国化し、かつ海洋進出し覇権国家を目指している以上、これに対し軍事力を整備しいざという時のために備えるのは、安全保障上の当然の措置であると私は考える。

ただ一度の敗戦という過去の史実に反省?させられて、軍事大国化を目指すことに躊躇する必要はないのである。

なお、私は、軍事愛好家でも戦争賛美者でもない。

この国が、歴史的に軍事大国であり続けたことで、異民族からの侵攻と支配を逃れたことに鑑み、過去の歴史に倣う必要性を指摘しているに過ぎない。

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